欲求には2種類ある
ここしばらく、意識的にテーマとしていること「神と人間、両方であることを忘れずに生きる」「モチベーションに従って行動する」自分が知りたいと思ったことは、必ず宇宙が情報を与えてくれてそして気づきを得られるような状況を与えてくれる。私が最近バイブルにしている本はニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-エックハルト・トール (著), 吉田 利子 (翻訳) 出版社: サンマーク出版 (2008/10/17) ¥ 2,310この本から沢山の智恵を得られています。本当にありがたい。で、この本の中に、やはり私たちは「神と人間、両方であることを忘れずに生きる」ことが人生のコツなのだと書いてりました。自分の欲求「モチベーション」に従って生きるだけで本当にいいのか?という私の疑問については、欲求には2種類あり、それを見極めることが大切だと書いてありました。「人間」(=自意識、エゴ)の欲求と「神」の欲求です。「ニューアース」の本から文章を抜粋してみます。「エゴ」はこう問う。どうすればこの状況を使って自分の欲求を満たせるのか、あるいは自分の欲求を満たす別の情報に変えることができるか?「いまに在る」とき、あなたはこう問う。どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求にこたえられるだろう?いや、実はそんなことは問う必要はない。あなたはいまに在るとき、状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになる。すると解決策は自ずと現れる。実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく研ぎ澄まされた静寂そのものだ。すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。というか、行動があなたを通じて起こるだろう。さらに、、、正しい行動とは、全体にとって適切な行動だ。行動が完了したとき、研ぎ澄まされた広やかな意識(=神意識)はそのまま残る。誰もガッツポーズを取って「やったぞ!」と叫んだりしない。「見ろ、私がやったんだ」などと言う者は誰もいない。欲求には「エゴ」の欲求と「神」の欲求がある。エゴの欲求に従えば問題はますますネガティブな感情と共に大きくなるが、エゴをなくした意識で、判断をなくし、ただその瞬間に必要を感じて動くのであれば、問題は消える(問題と思うこと自体がエゴの判断だから)幸福感と充実感を保ったまま、愛のある行動と結果をもたらすことができるということだと思う。だから、エゴにつかまっているとき、(エゴとは形にとらわれること、特定の結果に執着している状態、恐怖のある意識状態)こういうときに出てくる欲求には従ってはいけない。まず自分が神とつながっている状態に戻ることが先決。そっかあ、そういえばそうだった。と改めて思い出した感じ。『神の道具になる』という言葉がまさしくそれを一言で表しています。神もわたし(大我)道具もわたし(小我)そのバランスってことだと思う。うまく連携をとる。だけど、主導権はあくまで神(大我)が握ってないと痛い目にあう。でも、魂は人間の形をしている限り完璧な神の意識にはなれないからね。はめをはずして、エゴの欲求で暴走する体験も楽しいものそこから学べばいい。それがこの物質界にきた目的のひとつだもの。