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Feb 5, 2013
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          「小栗上野介忠順」 (3)


 道場から烈しい稽古の物音が響いてくる。男谷精一郎が口をひらいた。

「父君とは懇意の間柄じゃ。その父君は我が直心影流の皆伝の腕じゃが、

残念ながら君の剣術は父君に劣る」

 男谷精一郎は剛太郎を見つめ、残酷ともいえる言葉を発したのだ。

 聞いた剛太郎が浅黒い顔を悲しそうに歪め、手を畳につけ肩を震わせた。

 男谷精一郎はその様子を眺め、島田虎之助の言葉を思い描いていた。

 先日、島田虎之助がふらりと道場にあらわれ男谷に告げたのだ。

「先生、小栗忠順(ただまさ)はこのままでは物になりませぬ」

「何かあったのかね」

 男谷精一郎は稽古着姿で穏やかに訊ねた。

「いや、稽古は熱心に励んでおりますが、あまりにも勝負に拘ります。

俊敏な動きも、闘争心も申し分はありませんが名門の剣ではありません」

「わたしにどうせよと申す」

「先生の口から、忠順に剣術の心得をお話し願いませぬか」

 男谷精一郎は島田虎之助には、それ以上のことは訊ねずに黙して肯いた。

 そうした経緯があったことは剛太郎は知らない。剛太郎が声を振り絞った。

「大先生、わたしは駄目ですか?」

 縋るような眼差しを男谷精一郎に向けた。男谷は無言でいるが、

(流石は小栗家の血統じゃな、先祖の武が身体中に滾っておるわ。又一の

名を継承するだけの気概があるわ)と、胸中で呟いていた。

「剛太郎、君は父君の跡を継いで小栗家の当主になる身じゃ。それにしては

剣の腕が軽々しい」

「軽々しい」

 剛太郎が不審そうにしている。

「君は勝敗に拘りすぎる。君には素質があるので負けぬ手だてはある。

胆力じゃ。道場の剣術は竹刀や木刀じゃ、君には小栗家の当主に恥ずかし

くない、真剣勝負でも勝てるような剣を会得してもらいたいのじゃ」

「真剣で・・・」

「うむ、胆力じゃ。胆力を磨くことによって相手を制す、これなれば負けぬ」

 男谷精一郎が破顔し、剛太郎に剣の極意を語って聞かせた。

 剛太郎が涙を拳で拭って男谷を見上げた。

「大先生、分かりました勝負に拘らず、わたしは胆力を磨きます」

「うむ」  男谷精一郎は大きく肯きさらに諭した。

「いくら腕が優れていても、胆力のない者には人は斬れぬ。君の気力胆力

は、我が直心影流のなかでも一番とみておる。励むことじゃな」

「はい」  剛太郎は熱い血潮を湧きたたせ感謝した。

 男谷精一郎は昔日の小栗家の武鑑(ぶかん)に思いを巡らしていた。

 小栗家の始祖は松平信吉である。三代目の時、母方の小栗の姓を名乗るよ

うになった。この三代目の当主が小栗吉忠であり、家康の父、広忠の小姓と

なって仕えている。後に広忠が家来に暗殺され、家康は織田家、更に今川家

の人質として転々とし、岡崎城を留守にしていた。

 その間、家康が岡崎城に戻るまでの十二年間、岡崎城を守りぬいた三河

松平家臣団の中心的な人物であった。

 今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られ、家康はようやく岡崎城に

戻った時、小栗吉忠は感泣し家康の前に進み出て、

「殿が海道一の弓取りに成られるまでは、それがしが必ず一番槍を仕ります」

と、大胆な誓を家康に述べ、彼はその言葉どおり見事に実行して見せた。

 家康は合戦の度に、「また一番槍か?」と訊ね、これが「また一か?」から

「又一」と言わしめるようになった。

 小栗家はこの武辺を誇り、代々にわたり又一を名乗ることになったのだ。

 小栗剛太郎は十二代の当主となる身分である。それを思い男谷精一郎は

不思議な感慨で目前の、剛太郎の痘痕面を見つめていた。

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Last updated  Feb 6, 2013 03:52:44 PM
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