|
カテゴリ:真の幕臣、小栗上野介
「小栗上野介忠順」 (8) 旅先に見える光景は何処も同じである、田圃の稲は実のない穂のみが風に あおられている。 年若い忠順にも国の政策の誤りが、身をもって実感できた。 我が国の経済は米を基礎として成り立っている、こうした飢饉が続くと、 各藩も幕府も経済政策が行き詰まるのは、当然と忠順は思い知った。 幕府はこの急場を乗り切る為に、天保九年に倹約令を発し、天保の改革 を押しすすめていたが、このような小手先の政策では乗り切れないと忠順に は思えた。天候に左右される米を経済の基本にした幕府の失政とみたのだ。 これを打開する道は、各藩は独自の実態にそった産業を興し、経国経民 の政策を実行する。幕府は今までにない思い切った政策を打ち出す。 こうした施策を行わない限り、日本の将来はないと忠順には思えた。 併し、悲しいかな今の忠順には、具体的な考えは思い浮かばなかった。 後年、幕閣に参画した時、この飛び地の旅行でえた疑問点が彼の発想 の原点として蘇ったことは事実である。 今日も一行は雨の中を進んでいる。筑紫五郎左が盛んに忠順の体調を 心配していた。彼等は藁合羽に身を包み雨を防いでいるが、忠順は最近、 流行りだした油紙で作った合羽を羽織っていた。 一行はようやく小栗家の知行地に入った。上野、下野と飛び地の庄屋宅 に泊り歩き、各地の検分をはじめる計画であった。 どの村も江戸では考えも及ばない程の、不作で村々には不穏な空気が 満ち溢れていた。上野では上納米を免除し、五十両の大金を村人の前で 庄屋にあずけてきた。 「我が小栗家は徳川家の名家じゃ。皆々の苦労はわたしが眼に焼き付けた、 決して暴挙はならぬぞ」 と、強く諌め更に庄屋に念を押した。 「なんぞ不測の事態が起こったら、江戸に知らせよ」 「ははー」 庄屋は紫の袱紗を手にし、地面に額をつけ感謝していた。 忠順一行はその足で下野に向い、庄屋宅の一室で旅装を解き、庄屋の 安五郎を呼び寄せ村の様子を訊ねた。 何処も同じように不作の話であった、忠順は古ぼけてくすんだ天井を 見上げ思案に耽った。 下野のこの村を除き、他の村は全て彦根城で有名な井伊家の差配地で あった。 「安五郎、井伊家の方針に変わったことはないか?」 用人の筑紫五郎左がかすれ声で訊ねた。 低い鼻の蛙のような顔つきの安五郎が暗い目つきで答えた。 「この村よりも酷い不作に襲われておりますが、藩よりは何のお沙汰もない 有様にございます。このままでは筵旗かと心を痛めております」 それを聞いた小栗家の一行が顔を曇らせた。 「安五郎、ところで近在で酒屋はあるかの」 唐突に忠順が声をあげた。 「へい、ございます」 「今宵、村人を全て集めよ、皆にご馳走いたし我が家の方針を説明いたす。 三十二家であったの」 忠順は伏し目がちに油断なく安五郎の態度を見つめている。安五郎が平伏 し、声に張りが戻っている。 「へい、分かりました。女子供達も全て集めます」 「酒樽を買うて参れ、それに女子供等の食べ物もな。五郎左、金子を与えよ」 小栗上野介忠順(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[真の幕臣、小栗上野介] カテゴリの最新記事
|