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カテゴリ:真の幕臣、小栗上野介
「小栗上野介忠順」(221) 上野介の脳裡に人間が本来持っている、生々しく抜目のない駆け引きが 行われる、江戸の様子が走馬灯のように奔りぬけている。 江戸城開城の会談の主役は、新政府は西郷隆盛、幕府側は勝海舟しか居る まいと読んでいた。 西郷隆盛も勝海舟も上野介から見ると、同じ気質を持った人物に思える。 更に列国の動きも察知していた、多分、英国公使のパークスが翳で糸を引き 新政府の計画に、難癖を付けると踏んでいた。 事実、勝海舟はパークスの通訳官の、アーネスト・サトウに接触し、列国の 考えを探るよう、山岡鉄舟に依頼していた。併し、はかばかしい結果が得られ ず、勝は一人でサトウと会談し、江戸城の開城を平和裡に解決したいと伝えた。 アーネスト・サトウはパークス公使に、その旨を伝えると回答した。 一方の西郷隆盛は東海道鎮撫使総督参謀の、木梨精一郎を横浜に赴かせ 英国公使のパークスとの会談を命じた。 木梨の役目は「横浜表外国人応接」と「江戸討ち入下知」をパークスに伝える 事で、それを西郷から託されていた。その日が三月十一日のことである。 パークスは横浜は江戸に近く、官軍の江戸攻撃という状況となれば外国人の 安全保障を考え、列国代表会議を招集し、横浜全域を列国の共同管理に置く という、非常手段を執ると木梨精一郎に語った。 この言葉に木梨精一郎は蒼白と成った。 パークスの言葉は官軍が江戸を攻撃する事態と成れば、列国は挙げて横浜 で官軍と交戦すると宣言した事になる。 パークスの考えは初めて日本に来航し、この横浜の地に莫大な投資を行い、 漸く横浜港が重要な輸出入の地と成ったのに、日本の内乱で横浜が焼失する 事を容認出来なかったのだ。 パークスの態度に新政府は困惑した。慶喜が謹慎しておる状況では彼の首を 刎ねることは叶わない。それに代わって江戸城を灰塵にする、これで新政府の 革命が成就するのだ。それを列国が反対しているのだ。 東海道先鋒総督府は横浜の手前で軍勢を止めた。兎に角、幕府と会談を 進めなければならない。そうせねば軍勢を江戸に侵攻させる事が出来ない。 西郷隆盛と勝海舟は列国の思惑を知りながら、なに知らぬ顔で会談をした。 こうした経緯があって江戸無血開城が無事に成功したのだ。 まさに狐と狸の馬鹿しあいの会談であったが、後世の人々は二人を英雄と 評価したのだ。その日が慶応四年(明治元年)四月十一日である。 その頃、上野介は既に冥土に旅発っていた。その日が四月六日であった。 「父上、如何成されました」 又一の心配そうな声に上野介は夢を破られ。 「心配する事はない、わしは江戸の状勢を考えておった」 上野介が養子の又一に笑い顔で応じた。 これだけ明敏な頭脳の持ち主の上野介が、自分の将来に対し全く危険を感じ ていない事が不思議である。既に権力の座からおりて野に降ったとしても、彼 の影響力を官軍が、最も恐れていることを気付かずにいる。 わしには無関係じゃと内心に呟き、新しく生き行く権田村に眼を転じている。 空は益々青く澄み渡り、雲ひとつない好天気と成っている。 山裾から女達の歓声が木霊のように聞こえてくる。 「殿ー」 山の登り口から微かな声が聞こえ、一人の男が転がるように駆け寄ってくる。 「又一、何か異変が起こったようじゃ」 「父上、あれは大井磯十郎のようであります」 「殿、直ぐに東善寺にお帰り下され」 大井磯十郎が汗だくになって親子の傍に駆け寄ってきた。 「寺に佐藤藤七さまが殿をお待ちにございます」 「訳を申せ」 「隣村の三ノ倉に暴徒が集結し、騒ぎを起こしているとの通報に御座います。 暴徒の頭は長州の浪人とのことに御座います。世直しを掲げ近隣の農民を 集め、気勢をあげているとの事にございます。集まった暴徒の数は五百名に 達し、権田村に入った殿を征伐すると息巻いているそうにございます」 「何故、我が家を襲うのじゃ」 又一が剽悍な声をあげた。 「それは分かりませぬ、名主の佐藤藤七さまがご存じに御座います」 「又一、そちは大井と共に先に戻れ。農兵を集めておくのじゃ、銃の用意もな」 上野介は暫し騎馬で佇み、騒ぎの原因を思案し観音山を下り始めた。 東善寺は物々しい雰囲気に覆われ、又一の下知で農兵が銃器の梱包を解き、 最新式の連発銃を取り出している。 上野介はそれを横目に寺の大広間に、急ぎ足で入った。 そこに巨体の権田村名主の佐藤藤七が待ち受けていた。 小栗上野介忠順(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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