カテゴリ:歴史
「和の国チャンネル」
田中英道が語る 原爆・核戦争 ④閉ざされた戦後空間を開くために私は語るの続き。 この急激な展開がわからないから、 今までこの問題もほとんど関心を呼ばなかったけども、 結局日本の原爆といういのは、 アメリカだけを目的としていたわけです。 原爆を作ったうえで、それをアメリカまで持って行く 飛行機まで用意してたという事を、この本に書いてます。 もちろんそれが実現可能かどうかは、わからないけども、 興南で原爆実験が成功。 ソ連は(日本がそこで原爆実験してるのを)わかっていて、 成功する前に潰すことはできなかった。 少なくともそれを立件する計画は、知らなかった。 けれどそこで起こった事実は、すぐわかるわけです。 原爆実験が成功した翌日、 北朝鮮のその近くに入ったソ連の部隊が、 あらゆるものを持ち去ろうとした。 しかし工場そのものは残った。 その工場は朝鮮戦争まで残っていて、 それをアメリカが封印しようとした。 そのことも、ウィルコックスの研究でわかるわけです。 そこにいた人員が全員消えて、 1944年1月野口社長が70歳で亡くなられたため、 その工場の内部がはっきりとわからなくなりました。 ソ連は要員を全員逮捕し、連れて行ってしまった。 名前も何もわからなくなってしまった。 ※興南の工場と科学者たちは、ソ連の手に落ちた。 捕らえられた人名の中に、 髙橋りきぞう、渡辺ただしろうなどがあるが詳細は不明。 おそらく会社組織の名簿なんて取っていっただろうし、 1945年8月8日13時にやられたということで、 ある意味記録が消滅してしまった。 しかしいろんな意味でのエビデンスは残ったということです。 ということでオッペン・ハイマーの考え方で、 結局1番重要なのは、 ルーズベルトとソ連が 手を組んでいた時代ということ。 つまりオッペン・ハイマーも 共産党員だったということ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.08 18:30:26
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