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毎日の生活で感じたこと

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2024.10.08
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カテゴリ:歴史
​「和の国チャンネル」​
​田中英道が語る 原爆・核戦争​
​④閉ざされた戦後空間を開くために私は語るの続き。​

​​​この急激な展開がわからないから、
今までこの問題もほとんど​関心を呼ばなかった​けども、​​

​​結局日本の原爆といういのは、
アメリカだけを目的としていたわけです。​​

​原爆を作ったうえで、それをアメリカまで持って行く
​飛行機まで用意​してたという事を、この本に書い​
​てます。​


もちろんそれが実現可能かどうかは、わからないけども、
​​​​興南で原爆実験が成功​。​​​
ソ連は(日本がそこで原爆実験してるのを)わかっていて、
​​成功する前に潰すことはできなかった。​​
少なくともそれを立件する計画は、知らなかった。
けれどそこで起こった事実は、すぐわかるわけです。

​​​​原爆実験が成功した翌日
北朝鮮のその近くに入った​ソ連の部隊​が、
​​​あらゆるものを持ち去ろうとした。​​​​​​​​​

しかし​工場そのものは残った。​
​​​​その工場は​朝鮮戦争まで残っていて
​それを​アメリカが封印しようとした​。​​​​

そのことも、ウィルコックスの研究でわかるわけです。

​そこにいた​人員が全員消えて​、​
1944年1月野口社長が70歳で亡くなられたため、
その工場の内部がはっきりとわからなくなりました。​

​ソ連は要員を​全員逮捕​し、連れて行ってしまった。​
​​名前も何もわからなくなってしまった。​​

​興南の工場と科学者たちは、ソ連の手に落ちた。​
​​​ 捕らえられた人名の中に、
 髙橋りきぞう、渡辺ただしろうなどがあるが詳細は不明。​​​


おそらく会社組織の名簿なんて取っていっただろうし、
​​​1945年8月8日13時​にやられたということで、
ある意味記録が消滅してしまった​。​​

しかしいろんな意味でのエビデンスは残ったということです。

​​​​ということでオッペン・ハイマーの考え方で、
​結局1番重要なのは​
ルーズベルトとソ連が
​手を組んでいた時代​​ということ。​​​​

​​​つまりオッペン・ハイマー
共産党員​
​だった​ということ。​​






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最終更新日  2024.10.08 18:30:26


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