テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:物申す
そろそろ、確定申告の季節だね。 毎年この頃になると、義務とはいえ、納税がもったいないと思ってしまうんだ。 別に、ケチでいってるんじゃない。 自分たちが汗して働いた中から支払う税金だからこそ、せめて本当に必要な人、必要なところに使い。 未来のために有効に使って欲しいと思うだけなんだ。 テレビを点ければ、連日のようにニュースで報道される子供の虐待や弱者に対する凄惨な事件。 強盗、子供を狙う変態、高齢者の金を狙うひったくりや詐欺。 挙句に検察の不正。 政治はというと、いつも国民不在。 この国の政治は、民主主義の根本の主権在民という言葉を忘れてるのか。 相変わらず、弱腰外交とバラ撒きのツケを、結局増税や赤字国債にしかシフトできない、内弁慶な民主党の政策は、反省しても改善できないらしいね。 政権の奪い合いに尽き、数の論理だけがまかり通るだけの民主主義には、正義はないのさ。 国民と国の未来のために議論され、正義が行われないのは、もうすでに民主主義じゃない。 本当の民主主義の正義っていうのは、正しい小さな意見にも耳をかたむけ、選択し、賛同する自由と、正義を実行しようとする勇気なんだ。 政治家や官僚の特権意識や、安全を軽視した利益最優先の企業があるかと思えば、労働を放棄するニートたちが闊歩するこの国。 数と正義とが区別できずに、民主主義の意味を履き違えた奴らが築いたんだ。 かつて、勤勉実直を旨とし、死ぬことよりも恥を恐れ、誇り高く生きたこの国の精神文化は、かつて海外から高く評価され、"恥の文化"とまでいわれた。 そんな、恥を知る日本は、いつから恥をかき捨てる国になったのか... 国民はどうかといえば、これまた自由とか権利の意味を勘違いしてる。 "自由"という言葉のもとに自分さえ良ければと、誰もが身勝手な欲望を満たし、自分だけはと権利ばかり主張する。 政治も国民も、自由っていう言葉の意味を履き違えてしまったこの国。 自由ってのは、何をやっても良いという意味ではないんだ。 自由とは、法の下、一定のモラルの下に許されるもの。 しかも額に汗して。 ときには、チュニジアやエジプトのように、血を流して勝ち取るもの。 義務をおいてきぼりにして、手軽に権利と自由だけをを振りかざし、秩序を失った果てに得られるものは、国力の衰退と堕落と荒廃だけだと思うんだ。 かつて、恥を死よりも恐れたこの国の崇高な精神。 維新の情熱。 人としての誇り。 せめて窮屈にならない程度に守り続けたいと願う。 政治にいいたいことは色々あるけど、とりあえず税務署員にこれだけはいっておきたい。 砂天狗の給与外所得への課税、もうちとマケてくんない?(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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