テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:言霊の宿る国の言語学
古来、日本では人が「音」として発した言葉は現実に影響を与えると考えられ、よい言葉を発するればよい事が起き、不吉な言葉を発すると悪い事が起きると考えられてた。 これが言霊(ことだま)と呼ばれ、日本の精神文化に息づく言葉の感性だ。 柿本人麻呂の歌には、志貴島の日本(やまと)の国は事霊の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞとあり、古代にも「言」と「事」が同一の概念だったことを物語る。 美しい日本語が崩壊しつつあると言われる現代。 それでも、この国には言霊はわずかに息づいている。 婚礼や披露宴でタブーとする、"忌み言葉"などが言霊の思想的の名残りだったりする。 日本は、言霊の力によって幸せがもたらされる国。 "言霊の幸ふ国"なんだ。 言葉といえばもう一つ、自分の意志をハッキリと声に出すことを言挙げ(ことあげ)と言い、もしも言挙げが自分の慢心や邪心によるイイ加減なものだったときは、悪い結果になると信じた。 例えば、古事記では倭建命が伊吹山に登ったとき、山の神の化身に遭遇した。 そこで、建命は『これは神の使いだから帰りに退治しよう』と言挙げをしたが、それがカッコつけた慢心だったから、神の祟りに遭って命を落としてしまう。 言霊とは万物に神が宿るとするアニミズム的な一面ではなく、森羅万象への畏怖の念や敬いなど、心の有り様をも示すものであったことは確かなようだ。 そんな、言葉が特別な意味を持ち、魂を持つ国に生まれてコピーライターをしている砂は、言葉で真心を紡がなければならないとプレッシャーを感じることがある。 被害に遭った人たちに笑顔が戻るよう... 町に輝きが戻るよう... 恵み豊かな山々と、三陸の美しい海岸線の町々が一刻も早く復興されるようにと、今は祈りたい。 砂は信じてるよ。 東北の人たち、関東の人たちは、必ず復興を成し遂げると。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.19 00:04:25
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