テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:言霊の宿る国の言語学
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ 詞花集・恋上 崇徳院 <砂天狗 私訳1> 流れが余りに速くて、岩にせき止められて一度は分かれてしまった滝川の水が後には再び合流する... だから君と僕... 今は別れても、いつの日にかまた逢うことが叶うようにと、いつも願っているよ。 <砂天狗 私訳2> 抗いきれぬ時代の流れにせかされ、今はお互い別れ別れになってしまった... だけどせめて、いつかもう一度、再び巡り逢えることをどうか祈ってて欲しい。 さて、二つの訳をしてみたけど、どちらの方が気にったかな? 読み人の崇徳院は、鳥羽上皇の第一皇子だったんだけど、曾祖父の白河上皇の実子だという説もある。 崇徳院は幼くして天皇に即位したものの、鳥羽上皇の愛妾に皇子が産まれたため、何故か今度は突然退位を迫られた。 そのうえ、本来なら天皇の実子なんだから継承権を持ってイイはずの、崇徳院の実子の皇位継承権も認められず、余りの仕打ちにキレて、自ら蜂起した保元の乱にも破れ、讃岐へ流罪となり、やがて失意のうちに病没してしまうんだ。 この歌は、百人一首の七十七に数えられる砂の好きな歌。 王権争いにも、恋にも破れた男の運命には世の無常を感じる。 運命に翻弄され、そして引き裂かれた恋人との再会を願うこの歌。 だけど、そんな彼の儚い願いも遂に叶うことはなかった。 この歌は、恋歌として知られてるけど、運命に流された悲恋の歌でもある。 歴史は、常に真実で記されている訳ではない。 なぜなら、時代の勝者や主流派の意図が働くからだ。 時代の権力者によって改ざんされ、隠蔽された真実もたくさんあると思う。 例えば崇徳院の場合は病没ではなく暗殺だと推定されている。 今の世の中だと、こんな男女の別れは滅多にないと思うけど、東北地方太平洋沖地震では、たくさんの人が、大切な人との残酷な別れを経験してしまったことが残念でならない。 この国に望むことは、これから被災地と被災した方々のことを第一に考え、復興の歴史を刻んで欲しいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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