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ないものねだり

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2011.06.08
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「愛」ってのは、いったい何だろう? 何だと思う? 砂には、口にするのも気恥ずかしくて、伝えるに少し抵抗のある言葉の一つだ。


今から6程前、ある新聞の文化面で読んだ佐伯順子さんのコラムが印象に強く残っている。 そのコラムによると、現代語の「愛」とはかつて聖書に記された愛という言葉に影響を受けて、明治以後に一般化した言葉だそうだ。


聖書では、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と説いている。 例えば、もしも隣人(他者)愛があったなら、自己利益中心の過ちを犯すことなくあのJR宝塚線の悲惨な事故だって未然に防げたかも知れない。 


また同時に、脱線事故の当事者でもなく親類縁者でもない地域の人たちが、自分たちの生活や仕事を棚上げにして救助にあたった行為こそが、隣人愛の権化である。とコラムの文中で述べ、現代の日本ではこの「愛」という言葉、映画や小説、ドラマ、コマーシャルにと安直に氾濫しながら、その言葉は実を伴っていないとコラム文中で嘆いていた。


愛という言葉を、誰もが軽々と口にし、まるで言葉や文字にすれば、幸せや平和が訪れる念仏みたいに唱えるし、また誰かに求める社会風潮... だけど、中身は伴ってるのか?


だけど、不自由を感じ、難儀している人々に目を向ける人、気づく人、立ち止まる人、手を差し延べる人のなんと少ないことか。 この国に、愛はあるのかだろうかと疑いたくなる。 国民の暮らしより、自分の立場と政権維持が大事だと思う奴らに愛などない。


難儀している人々に目を向けた人、気づいた人、手を差し延べた人、そういう心ある人々は、「愛」などと言葉に発することなく、ただ黙々と任務をこなし、黙々と人を救い、何らかの形で社会に貢献している。 


気軽に「愛」なんて口にする奴ほど、クセモノで心がないと砂は思う。


敗戦後の目覚ましい復興の中で、私達は繁栄と引き替えにして、日本人としての美徳を失いつつあるんだと思う。 自己の利益だけに関心を持ち、人を出し抜き、人の難儀している様を、自分に置き換えることのできないか、或いは、我が事と感じようとしない連中が、同じ社会に増殖して来た昨今、この国は、もう先進国でも文明国でもなくなりつつあるのでは...?



「愛」って、本当のところは何だろう? 「道徳心」、「善意」なんかも、本質的に愛を根源にするものだと砂は考えているんだ。 あえて和風に言うなら、慈悲の心とか慈愛の心だと思うよ。 これからの日本に、最も必要な精神だと思うんだ。












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Last updated  2011.06.08 23:52:19
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