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ないものねだり

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2011.07.30
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カテゴリ:物申す
(ひまわり 砂天狗撮影)

随分前に、読んだコラム記事だったと記憶してるけど... 


昔の江戸の町は、平和自由な町だったそうだ。 
勿論、士・農・工・商の身分制度はあったけど、当時の江戸っ子は今と違って真の意味で"平等"というものを心得てた。 


元禄から維新まで、江戸では、武士階級だけが特別尊ばれ恵まれてた訳ではなかったそうだ。 武士には、武士道というモラルと、武家諸法度という厳しい法律があったしね。


   


八代将軍 吉宗の時代だった享保八年(1723) に人口調査をしたデータでは、江戸の人口は武士が約50万人、町人が約53万人だったそうで、数字の上でほぼ同じ比率だ。 つまり、江戸の町では武士が特別な存在ではなかったという証明だ。




幾ら威張り散らしても、太平の世が続くと武士でも失業する。 
逆に、町人たちは平和な時代を背景に盛んな経済活動で優位に立ち、武士と町人には自然と"平等"な意識が芽生えた。


元々、江戸庶民の間では、銭湯での裸の付き合いとか、三脱の教え(塾や講などで年齢、職業、身分の三つは考えない)という"平等の意識"があったそうだ。 また、当時の江戸には、防火の意味で内風呂が禁止されていたこともあって、武士も町衆と一緒に裸の付き合いをしたんだ。  


  


加えて、何よりも吉原のような"遊び場"で武士が威張るというのは、とんでもない"野暮"だったとか。 今でも、キャバクラで威張り散らしたらお姉ちゃんにモテないもんね。(笑)


そんな、江戸の町の武士と町人の平等な時代は維新までのことだった。


江戸での不平等のはじまりは、薩摩長州の侍が江戸を支配してから。 "遊郭"にまで身分差別が持ち込まれ、遊女や芸者に対するレイプ事件も頻繁に起こったと記録されてる。 


田舎侍が、有頂天になってやたらと特権を誇示するようになったんだ。 明治維新とは、いったい何だったのか? 確かに、国は近代化された。 その反面、格差不平等を生み、浪費された。


維新とは、日本の精神性から高いモラルと、侍の誇りを滅ぼしてしまっただけ。 その結果、保たれていた平等な関係性は損なわれたように思う...


明治になると、花柳界で嫌われる代名詞として"ナイダイ"という言葉が生まれた。 ナイダイは、薩摩や長州の田舎から出てきて威張り散らす代議士を揶揄した言葉だ。 こうして、何かあれば直ぐに権力を振りかざした薩摩長州出身の侍たちによって、政治家官僚が威張る土壌が形づくられた。


思えば、維新から140年以上経った今も、国民は搾取を受け、負担を強いられ、政治家は心のドコかで国民を軽視してる。 身分制度はなくなったのに、議員=特権の構図は脈々と続いてる。


維新は誰のため? 何のためにあったのか? 
砂は、維新とは中央武士地方武士政権抗争に過ぎないと思う。 そういう意味で、龍馬が夢見た維新は未だに完成していない。


もう一度、ヨーロッパで起きたような市民革命でも起こさない限り、日本の政治の根底にある"お上(かみ)優位"意識は変わらない。 


  


近年、投票率がどんどん落ちてる。 実は、これこそが大問題なんだ。 「政治に期待できない!」といえばそれまでだ。 だけど、投票に行かないままだと、それこそ支持団体の組織票を持つ"政党"の思うツボなんだよ。


今から国民にできること... 


少なくとも投票には行くべきなんだ。 
我々の未来にとって何が必要で何が不必要なのかをじっくり考え、大勢の国民が一人一人選挙に参加しないと、日本に本当の民主主義は根づかないし、未来もないと思う。 今度こそ、本当の維新を成立させなければならない。












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Last updated  2011.07.30 17:20:12
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