テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:物申す
8月1日、夜のニュースに苛立ちを覚えた... 東京電力は、福島第1原発1号機と2号機の原子炉建屋の間にある、屋外の主排気筒下部付近で、毎時10シーベルト以上の高放射線量を観測したと発表。 これは、今まで観測した線量で最も高く、急性被曝で死亡する7シーベルトを42分で超える値だそうだ。 東電によると、瓦礫撤去後に線量変化を測定していた作業員が8月1日の午後に確認した。 約3メートル離れた場所から測ると測定限界の10シーベルトを超える値だったというんだ。 日本国内では、あちこちで脱原発を声高に叫ぶ人たちがいる。 被爆国としては、当然の市民感情だし、ナーバスになるのも無理はない。 ただでさえ、狭くて逃げ場のない日本列島に、とてつもなくヤバいものは誰も欲しくない。 実際、被災地域では大勢の人が迷惑を被ってるんだから脱原発に異議はない。 だからといって、脱原発は早期実現する問題だろうか? 原発容認にせよ脱原発にせよ... 政府も、財界も、文化人も、市民も、誰もがヒステリックで手前勝手で偏り、主張は幼稚だ。 太陽光発電? 風力発電? 地熱発電? 潮流発電? 確かに、永続性の高い自然エネルギーの利用は魅力ある選択肢だし、いいアイディアだと思うけど、新たなインフラ整備に大きなコストと時間がかかるのは事実だし難題だよ。 誰が負担する? どうやって負担する? また税金? 本当に整備は可能なの? 日本は、戦後復興を経て、高度経済成長を境に、政府は原子力の平和利用を唱え、国民を誘導してきたけど、原子力には宣伝以上のコストがかかってるし、制御を誤れば大きなリスクが伴う。 だからといって、考えなきゃいけないのは安全や安心だけではない。 現実的に安価で暮らしの継続が可能か、現実的に質と量で産業の継続が可能かも含めて選択しなければならない。 経済が破綻すれば暮らせないし、どのみち日本は餓死の島になってしまう。 供給性と経済性、安全性。 さらに質と量。 継続可能な経済の成長と、国民生活の両面に、安全を加えて検討すべきだ。 これら、一つでも無視すれば、結局は資源のない日本は終わってしまう。 なのに、日本国内の原発議論は、否定・肯定の双方とも、ただ屁理屈をこね回してるだけに見える。 砂が個人的に思うに、一番の問題は、電力供給事業とかエネルギー産業とかに少数の巨大企業だけがあぐらをかいて居座っている現実だと思うよ。 他の企業が自社で抱えてる、利用可能な技術やエネルギーって意外と多いんだ。 原発の是非だけヒートアップして議論されてるけど、脱原発だけが問題じゃない。 問題の根本は、利権構造が絡んで閉鎖的なエネルギー市場だ。 ○○でなければならないとか、○○しか参入できないという論理はおかしい! そもそも日本の法律には、限定的で特定の団体に有利に働く法律が多すぎる! その癖、国の安全管理や危機管理は甘い! 小さな町工場でも、個人事業者でも、異業種企業でも、個人だって、新規参入できる法的根拠と環境づくりが問題解決のキーだと思う。 それに、大胆なエネルギー政策の転換と、経済構造を変えれば、また新たな市場だって産業だって生まれるし、ビジネスチャンスや雇用だって生まれる。 つくれるなら、お米屋さんが電気売ったってイイじゃないか! 人は国に守られるもの。 国は人に支えられるもの... 安全はリスクを全否定することじゃなく、危険に備えて回避するもの... 交通事故が怖いから、一方が「クルマ反対」というと、違う立場から「乗り物に一切乗るな」と反論する。 だけど、これじゃ何も進歩しない。 大人の国じゃない。 単なる否定や肯定なら馬鹿でもできる。 もっと社会学的に議論して、馬鹿にされない大人の国を目指そう。 市民→産業活動→自治体→国→そしてまた市民と、支えあう健全な社会というのは円周なんだと思う。 本質的に、社会という円構造には、勝者も敗者もないんだ。 スムーズに回るようにしなきゃ、社会歪んでしまう。 砂は、とりあえず扇風機で夏をしのいでおこう♪ 節電するなら、早く電気消してセックスして寝なさい。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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