テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:物申す
古くから、交易の拠点として独特の文化を育んできた長崎。 異国情緒が漂う美しい街に、あの日突然、惨劇が襲った。 昭和20年(1945)8月9日、午前11時02分... その日、飛来した米軍のB29爆撃機は、広島に続いて2発目の原子爆弾を 長崎の市街地北部に投下。 一瞬、閃光が街を呑み込み、数千度の熱に加え、 激しい爆風と致死量の放射線が放たれ、長崎の街は瓦礫となった。 死者7万4千人、負傷者7万5千人。 この時、かろうじて死を免れた人たちも、放射能がもたらした病魔に蝕まれ、 今もなお苦しみ続けているんだ。 原爆といえば、反核のシンボルとして取沙汰されるのは「ヒロシマ」。 海外に至っては、「ナガサキ」を知る人は余りにも少ない... だけどあの日、長崎の人たちも、核という大量殺戮兵器に命を絶たれた。 長崎は、多くの哀しみを乗り越えて、今日まで復興してきた人たちが暮らす街。 広島とともに、長崎の街の名を、世界は忘れてはならないと思う。 太平洋戦争以降、そして東西の冷戦終結以降も、争いは姿を変えて絶え間なく、 世界のあちこちで命を奪い、子供たちの未来をも脅かし続けている。 争いの火種は、「欲」から生まれることが多い。 かといって、人の欲を全部消し去ることなどできるハズもないんだ。 国際紛争の解決に、キレイ事や青臭い理想は通用しない。 だけど、欲が絡んだ争いの中で、絶対に目を反らしてはいけないことが一つある。 それは、世界中の国や地域、肌の色や民族による格差だ。 富の偏り、力の偏りは、憎しみを生み出し、新たな哀しみの連鎖をもたらす。 この地上に、貧困や飢餓がある限り、紛争は絶えることはないだろう。 少なくとも、貧者から搾取した富で乗りもしないフェラーリをコレクションしたり、 1本1,000ドルのワインを、残ったからと便器に流す奴らがいる限り、 世界が平和になることはない。 もしも人が、欲望を半減させたなら、世界の紛争も半減するだろう。 しかし人が、分かち合うことを喜びとしない限り、争いはなくならない。 Remember HIRISHIMA. Remember NAGASAKI! (砂天狗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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