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ないものねだり

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2015.12.14
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カテゴリ:砂的博物誌
夕闇の江を、独りで散策している途中、空を見ると二日月に気づいた。
二日月(ふつかづき)のことを、既朔(きさく)ともいう。

DSCN2231.jpg
新月は暦のはじまりで、古来新月のことを朔(さく)と呼び、
旧暦では朔と記して「ついたち」と読んだりもした。

DSCN2262.jpg
八朔(はっさく)や さて明日よりは 二日月 という蕪村の句がある。
八朔とは、旧暦の八月一日の月ことで、明日は二日月という意味の句だ。

元々、旧暦は月の運行を基に作り出された暦で、多少ずれはあるものの、
毎月一日は「朔」、新月で一ヶ月がはじまるのだ。

DSCN2245.jpg
今宵は、月との歴史について、少しお話をしよう...

新月から、満月を経て新月に至る厳密なサイクルは29.5306日なので、
30日の大の月と、29日の小の月をほぼ一ヶ月交代で繰り返し、
12ヶ月で一年としたのが、古代に用いられた太陰暦という暦だった。
DSCN2280.jpg
太陰暦では、月が全く見えない日は1日と30日(あるいは29日)。
満月は、15日と決まっていたので分かりやすく便利だった。
しかし、この暦には大きな問題があった。

太陰暦は、一年が354日にしかならず、実際の太陽年より約11日短くなる。
このまま太陰暦を使っていると、三年弱で季節が一ヶ月もずれてしまうのだ。
そこで、二、三年毎に閏月を挟む太陰太陽暦が中国やエジプトで考案された。

この太陰太陽暦が、旧暦の原型となる暦だ。

奈良時代のはじめ頃、日本は中国から太陰太陽暦を取り入れ、
これに、日本独自の改良を加えて旧暦とし、明治五年まで使用する。

明治五年(1872)、太政官布告が出され、日本は突然太陽暦を採用。
これ以降、日本人は月の満ち欠けと、日付との関りを失った。


そういえば、EXEILの歌にも「二日月」というのがあったな...







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Last updated  2015.12.14 22:47:08
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