蘇州
角川文庫のビギナーズ・クラシックス「杜甫」を今読んでます。ひさしぶりに「岳陽楼ニ登ル」が読みたくなったので。この詩、高校のときに教科書で出会って以来、ほんとに好きなのです。角川文庫のビギナーズ・クラシックスというラインには弱冠の胡散臭さをもっていたのですが、やっぱり漢文は読み下し文がついていないと読みこなせないので、手にとりました。レ点かえり点が打ってあれば今でも読めると思うんですけど。……ムリかな?(今でも高校で漢文、教えてるのかなあ?センター試験では4問目が古文か漢文かの選択だったと思うんだけど。読み下しができる人なら、古文より漢文の方がカンタンなので点がとれる……ってのが私たちの世代の受験テクニックでした。文法単純だし、読解深くしなくていいし。「オ(ヲ)ニトあったらひっくりかえれ」とか言ってませんでした?レ点の仕組み。)とてもいい序文がついていました。この「杜甫」を編んだ黒川洋一先生は、この本の出来上がりを待たずにご逝去されたそうで、お弟子さんが代わりに「はじめに」を書かれています。黒川先生のお人柄に触れながら、淡々と。「黒川先生の強烈な美意識」とお弟子さんの福島理子さんは語られます。蘇州という街の美しさを、黒川先生は「透明な空気のつぶが一つ一つ見えるように美しい」と、表現されたそうです。蘇州は水の街。私は一度だけ訪れたことがありますが、そんな印象です。思い出の中の蘇州はいつも薄曇。影が多くて緑が多くて、地面はいつも湿っていて、寺院を形作る木はしっとりと重みをもって形を保つ。にごった色の黄色。緑。赤。茶色。くすんだ金色。深く息を吸うと、夏のさなか、喉はひんやり冷たくなった。たった一日の記憶が黒川先生に刺激されて還りました。それとも、「私の蘇州」は美しい言葉に負けて、消えてしまったのでしょうか。「透明な空気のつぶが一つ一つ見えるように美しい。」この言葉を知ってから、蘇州に行きたかったな。と、少し思いました。今からでも決して遅くはないのですけど。出かければ、また違う蘇州に会えるのかもしれません。(と、きれいにまとめておいてなんですが、こないだ「世界不思議発見!」で蘇州が映っていたような記憶が。川沿いの店で鳥の丸焼き売っていたのがすごーくおいしそうだった。食べに行きたい。ブンガクよりも食い気ですみません。)