斜陽
小説を読みたいなあ、おもしろくて、気張っていない小説を読みたいなあと思うと、太宰治に戻る気がする。太宰は好きで大嫌い。でも小説は好き。太宰の書く、おもしろい小説は、好き。「私は二十九のばあちゃんだから」とかず子さんは、かすかな、あまい声で言う。人が早くに死ぬ時代。人生は五十年、もう半分は生きたと言って、少年たちが空に散った時代がすぐ前にある。「戦争の追憶は語るのも、聞くのも、嫌だ。」とかず子さんは言う。太宰に戦時はあったのだろうか。ぼんやりと思う。死にたがりの、役立たずの、ぼんぼんの、酒飲み。生きる気もないのに、生きたがりの、草。太宰は木じゃないねえ。井伏鱒二は樹木だけれど。かず子さんは定点だ。成長もしない。ただ、暮らしている。おっとりとしているわけでもない。自然体、とも違う。本能。朝に起き、時に寝坊し、時間がくると食事し、食べ物を手に入れるために火を炊いたり、畑の仕事をしてみたり。飽きるとやめる。お金があって食べ物が買えるなら働く必要もない。夜がくると眠る。眠る眠る。カイコのようだ。白くて、すきとおって、身を守るすべは何もなく、天敵から身をかくす知恵もなく、ただ桑の葉を食み夜は眠るカイコのようだ。人の手で保護されなければ生きることもできない。カイコは悩まない。そういうふうに生まれついているからだ。赤ちゃんを生みたいのです。本能で恋をし、赤ちゃんを欲し、ひとり残って、お腹の中に赤ちゃんを入れたままのかず子さん。かず子さんは母になったからといって成長はしないでしょう。赤ちゃんを抱いて、ただ生きていく。生活はできないと思う。このひとには、「生」はあっても「活」はない。カイコは糸を吐いて繭をつむぐ。きらきらした細い透き通る糸。斜陽のときのかず子さんは、まだ繭のつくりかけ。細い糸のからまりはまだ薄いから、光をにじませて反射する弱い影のなかに、かず子さんは丸まっている。ふうと細い糸を吐きながらお腹を撫ぜている。(ええ、かず子さんは聖母なのだから、まんざらおかしな想像ではないでしょう?)斜陽。夜にはならない。だから、朝が来ない。