つと光り
あかるい四月です。よく晴れています。土曜の朝に、歩いて病院に行きました。ときおり、こつんと咳が出ます。緑が光っています。街路樹も道端の草も、お店の軒先も、誰かの庭木も。つやつやとした黄緑色。とあるお宅の垣根の枝に、アルミの缶を加工したランプが下げてありました。(つと光り)という言葉を思い出しました。いえ、「つと光り」という詩句を知っていたから、目が留まった風景かもしれません。私は中原中也を、中也のお母様の回想記で初めて知りました。中也の詩が端々に差し込まれ、読み終えたとき、詩句の記憶が残るような、そんな編集でした。詩を読むことに慣れておらず、けれど物語を読むことが好きだった私には、よい「詩」の入門書でした。山頭火さんのことを、お母様は語られていました。「締めの足りない水道の、 蛇口のしずくはつと光り!」中也のこの詩は、俳句だね、というようなことをおっしゃった、と。4月のあふれる緑の中のアルミ缶。つと光っていました。一般的な表現ではないかもしれないけれど、私にはそれしか言えない。つと、光っていました。