最初の日
昨夜、ぼくはたけるとケンカをした。最初はたけるとミカンでキャッチボールみたようなことをして遊んでいたんだ。手元がくるってタケルの顔にぶつけてしまった。ごめんってちゃんと謝ったのに、タケルが2個も3個もミカンを立て続けにぼくに放ってぶつけてくるんだもの。なんて奴だ。ぼくも応戦して、ミカンをたけるに投げつけた。居間は雪合戦ならぬミカン合戦の様相を体していき、ただのケンカに変わった頃に勝が入ってきて、ものも言わずにぼくとたけるに一発ずつ拳骨を入れた。唇をかみ締めてミカンを拾い集めるたける。たけるが悪いんだ、と勝にくってかかるぼく。食べ物を粗末にしたことを怒ってるんだ、と勝がまた僕を殴る。たけるは口をきかない。収拾がつかなくなってきたところ、居間の肘掛け椅子に腰掛けて静かに本を読んでいた幸が、手にした本の背の角で、机をコツンとたたいて硬質な音を立てた。「うるさい。」それだけ言って、自室に帰るべく立ち上がった。うずくまったたけるの頭をすれ違いさま、くしゃりと撫でる。「二人とも、悪い。」それだけ言って、ふわりと笑った。きれいだった。たけるがすうっと泣き始めた。「ごめんなさい。」やっと二人して言って、ぼくたちのケンカはけりがついた。朝、たけるが起こしにこないから、ぼくは眼が覚めてもずっと眠っていた。うつらうつら、ぼくは怠けるのが大好きだ。カーテンを超えてまぶしいような光が部屋を満たしていた。雪が降ったのかな、と思った。昨夜はとても寒かったし。(そんなら、たけると雪合戦しよう。)たけるは簡単に熱を出すから、しっかり厚着させて、外に連れ出そう。大声をあげて騒いで、幸にうるさいと怒られて、服をすっかり汚して帰って勝に叱られて。でも、いいんだ。たけると、いっぱい遊ぼう。あんまり長いこと、たけるが来ないから、ぼくはついにお腹がすいて自発的にベッドを抜け出した。こんなこと、百年にいっぺんくらいしかない。台所では、勝が食卓に肘をついて、がっくりと頭を落としていた。台所には火の気が全然なかった。サラダが4皿あって、生卵が8個転がっていた。油が引かれたフライパンが(いつでも卵を割ってください)って、ぴかぴか光っていた。7時5分で、台所の時間は止まっていた。びしょぬれの本が、勝の前にあった。不吉な予感がして、ぼくは勝に声をかけずに、たけるを探した。居間の出窓のカーテンの向こうにもぐりこんで、たけるはうずくまっていた。庭にも道にも、うっすらと雪が積もっていた。足跡はひとつもなかった。幸がどうなったのかは、聞けなかった。気配のかけらも残ってなかった。濡れた本。それだけ。たけるが透明な目でぼくを見た。(泣かないの?)声にしようとしたら、涙がこぼれた。「僕は、昨日、泣いたから。」たけるは強くカーテンを握り締めていた。指が、真っ白になってた。家の中を見ないたけるの脇で、僕は嗚咽をこらえず泣きじゃくった。