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2024.11.11
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カテゴリ:鹿児島県
江戸時代に知覧麓一帯に造られた武家屋敷群。7つの庭園が国の名勝に指定され、美しい日本の歴史的風土100選、日本の道100選にそれぞれ選定されている。

江戸時代に薩摩藩は領地を外地と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、武士団を集結させることなく分散して統治させた。知覧もその一つ。当初知覧は島津家の分家である佐多氏が治めており、佐多氏は薩摩藩の中でも重要な役割を果たした実績から、知覧の私領地化と島津姓の使用が許された。現在残る武家屋敷群は18代島津久峰の時代に造られたものではないかと言われている久峰が参勤交代に伴い江戸から戻る道中で触れた京の文化を持ち帰ったと言われ、また知覧が琉球貿易の拠点だったことから、石敢當や石垣など琉球の影響を受けたと思われる建築も見られる。

年間を通して様々なイベントも行われており、2月から3月にかけておひなさまめぐり、7月から8月には南九州市各地に風鈴が設置されるふうりんの小径、11月中旬には約8000個の竹灯籠や紙灯籠が武家屋敷庭園一帯に灯りを灯すちらん灯彩路が行われている。

武家屋敷の入園料は大人530円、小人(小・中学生)320円(団体割引有)。


城山橋。麓川に掛かる橋で、この橋の上流に矢櫃橋という眼鏡橋がある。ここを渡った先に武家屋敷群がある。




森重堅庭園。7つの庭園の中では唯一の池泉式庭園(他は全て枯山水式庭園)となっている。1741年(寛保元年)から1744年(寛保4年)の作庭と言われている。曲線を描いた池に奇岩を用いて山や半島を表現し、対岸の方には洞窟を表現した穴の開いた石を配して水の流れを象徴している。




武家屋敷通り。石垣とイヌマキの生け垣が続き、武家屋敷が建ち並ぶ様子から知覧は「薩摩の小京都」とも呼ばれている。




旧高城家住宅。明治時代以前に建てられた武家住宅。知覧型二ッ屋と呼ばれる知覧独特の民家の建築様式となっている。




佐多直忠庭園。1741年(寛保元年)から1744年(寛保4年)の作庭と言われている。母ヶ岳を借景とし、庭には石で組まれた築山を設けている。中心には高さ3.5mの立石が見え、下部には枯滝の石組を配しまるで水墨画のようになっている。






佐多民子庭園。宝暦年間の作庭と言われている。北西隅に石塔を置き、カエデ、マツ、イヌマキを植栽し、庭石を配している。庭石は麓川の上流から運んだ凝灰岩質のもので、巨岩であったため石目に沿って割り、牛馬で運びやすくしたもの。






佐多美舟庭園。1751年(寛延4年)の作庭と言われ、知覧の庭園の中では最も豪華で広い庭園とされている。枯滝を造り、築山の上部に石灯籠、平地となっているところには巨岩で石組を設けている。






知覧型二ッ家。市指定文化財に指定されている。前述の旧高城家住宅でも採用されていた知覧の民家の建築様式で、2つの玄関があり、「おもて」「なかえ」と呼ばれる2つの屋根の間を小棟で繋げているのが特徴。


石敢當。魔除けとなる石碑のことで、中国で発祥したもので日本では沖縄県でよく見られる。かつて知覧では琉球との貿易が盛んであり、江戸時代に琉球の文化が持ち込まれこの地に伝わったと言われている。




平山亮一庭園。1781年(天明元年)の作庭と言われている。石組一つない大刈込み一式の庭園で、イヌマキで遠山を表現し、前面のサツキの大刈込みがまるで築山のようになっている。5~6月にサツキの花が咲き、刈込の一面がピンクの花で染まる。


太刀洗。刀や槍に付着した血を洗うためのもので、この一帯が武家屋敷群であることを象徴するものとなっている。




平山克己庭園。明和年間の作庭と言われている。母ヶ岳を借景とした庭園で、隅の方には水墨画のような枯滝石組を設け、築山のようになっているイヌマキの生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっている。






西郷恵一郎庭園。江戸時代末期の作庭と言われている。隅に枯滝の石組を配して高い峯とし、その峯の周辺の刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。5~6月にサツキの花が咲き、普段とは違った美しい景色を作り出す。






清流溝。知覧を流れる麓川の疎水。水車が回っており、鯉も泳いでいる。



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最終更新日  2024.11.11 21:59:59
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