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2012/08/09
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テーマ:城跡めぐり(1258)
渡良瀬川の河畔にある古河総合公園、公園内には「御所沼」の中に半島状に突き出した「公方様の森」と呼ばれる場所があり、ここに古河公方足利氏の居館がありました。
古河公方館跡公方様の森 (500x375).jpg
公方様の森

古河公方館跡御所沼 (500x375).jpg

古河公方館跡 (5) (500x375).jpg
古河公方館址の碑


居館跡ははっきりと残っていませんが、中世武士の居館らしく方形の堀で囲まれていたと思われます。
古河公方館跡堀切 (500x375).jpg
堀切跡

古河公方館跡土塁 (500x375).jpg
土塁の跡でしょうか。


この風流な場所に公方様が住んでいて、それは優雅な暮らしでした、と言いたいところですが、そうもいかないのが関東の戦国時代です。

それどころか関東戦乱の発端となったなかりでなく、さらに関東中を引っ掻き回した「お騒がせ男」がここに住んでいました。


応仁の乱に先立つ1440年、永享の乱で自刃した鎌倉公方足利持氏の遺児を擁して、結城氏朝・持朝が京都の室町幕府に反旗を翻し、室町幕府足利将軍・関東管領上杉氏の連合軍と戦ったのが結城合戦でした。

1年近くにおよぶ籠城戦の末に結城城は落城、足利持氏の遺児である春王丸・安王丸は室町幕府将軍の足利義教に殺害され、ここに鎌倉公方足利氏は滅亡したかに思われました。

しかしながら足利持氏にはもう1人遺児がおり、たまたま信濃に逃れていた永寿丸がその人です。
当然ながら室町幕府は永寿丸の捜索に力を挙げますが、そうこうしているうちに室町幕府の将軍である足利義教が赤松満祐によって暗殺されるという嘉吉の乱が勃発しました。


鎌倉公方足利持氏の遺児である永寿丸の捜索はここでうやむやになったばかりか、関東諸将の後押しによって鎌倉府が再興され、この永寿丸改め足利成氏が鎌倉公方として再び関東の表舞台に立つこととなりました。

この足利成氏ですが、「蛙の子は蛙」なのか血は争えないのか、亡父である足利持氏同様に関東管領上杉氏や室町幕府との対立はやめようとせず、1454年には足利持氏が補佐役である関東管領上杉憲忠を殺害する享徳の乱を引き起こしています。


享徳の乱は鎌倉公方足利氏VS関東管領上杉氏の争いで収まらず、足利成氏のお陰で関東を二分する戦いとなりました。
足利成氏方には、結城氏・宇都宮氏・那須氏・小山氏・千葉氏・佐竹氏など、その名前が現代にも通じる東関東勢がつき、対する関東管領・室町幕府方には山内上杉氏・扇谷上杉氏・駿河の今川氏などの西関東勢がついています。
(ちなみに扇谷上杉氏の家宰として各地を転戦していたのが、大田道灌でした)


足利成氏は駿河の今川範忠によって鎌倉を追われ、本拠地を下総の古河に移したことで、ここに古河公方足利成氏が誕生しています。


その後の関東では、関東管領山内上杉氏は扇谷上杉氏と対立するようになり、古河公方の方も小弓公方を名乗る足利義明が現れたりして、めちゃくちゃもいいところでした。

そんな中で漁夫の利を得て勢力を伸ばしていたのが、北条早雲を祖とする小田原北条氏です。
共通の敵が出来ると同盟を結ぶのが歴史の常ではありますが、すでに古河公方も第4代となった足利晴氏の時代に、山内上杉氏・扇谷上杉氏の同盟が成立しました。

実に結城合戦から100年以上も経っていましたが、古河公方足利氏・山内上杉氏・扇谷上杉氏の連合軍は、北条氏康との河越夜戦でまさかの敗北を喫しました。
これが要因で扇谷上杉氏は滅亡、山内上杉氏は関東管領の家督を越後の長尾景虎(後の上杉謙信)に譲ったほどで、古河公方の方も第5代足利義氏が北条氏康の養子となることで、完全に北条氏の支配下となっています。


足利持氏に始まる古河公方のお陰で、関東の戦国史がここまで複雑となり、迷惑を被った関東諸将も少なくはないことでしょう。

そんなこんなを含めて改めて歴史を振り返ったのが、優雅な御所沼と公方様の森でした。





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最終更新日  2017/07/05 04:50:25 PM
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