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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(茨城編)
律令制の下での常陸国は上総国・上野国と並ぶ大国に列せられ、その国府は現在の石岡市にありました。
(親王の直轄領であったため、他の大国同様に「常陸守」ではなく、「常陸介」が置かれています) 741年の聖武天皇の詔によって全国に建造された国分寺も石岡市にあり、現在は真言宗の寺院として引き継がれています。 伽藍配置も変わって、普通の寺院のような感じですが、中門のあった場所には礎石の跡が残っていました。 発掘調査によって伽藍の規模も判明し、他の国分寺同様に七重塔を備えた大伽藍だったようです。 金堂跡 発掘で出土した瓦には平城京羅生門と同じ紋様があり、国分寺建立にあたっては当時の空王政府から瓦工が派遣されて技術指導にあたっていたと推測されています。 近世には千手院が置かれ、国分寺のあった石岡市府中の寺院の大半は千手院の末寺でもありました。 後に国分寺と合併して廃寺となりましたが、現在も国分寺境内に千手院の山門を残すのみとなっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/10/20 10:39:09 AM
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