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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(茨城編)
「風土記の丘」と呼ばれる公園は各地にありますが、各国の風土記のうち現存しているものは出雲国・常陸国・播磨国・肥前国・豊後国の4ヶ国のみで、完全に現存するのは出雲国風土記のみだそうです。
その常陸国の国府があった石岡市にあるのが「常陸風土記の丘」です。 入口は長屋門となっており、いきなり時代を錯誤しているような印象でした。 移築されたもので、中は売店になっていました。 こちらも江戸時代後期の建造物を移築されたもので、蕎麦屋になっています。 旧家を抜けて公園内に入ると、今度は貝塚の跡がありました。 地蔵窪貝塚跡 今度は石器時代に戻ってしまいました。 丘陵部の方に目をやると、こちらも古民家風の建物が並んでいるようです。 どうも「やってしまった感」が漂っていたのですが、実は中に入ってみてようやく分かりました。 風土記の丘では縄文時代から近世に至るまでの各時代の住居が復元されているようです。 住居群の入口になっている江戸時代後期の建物 入場料が必要なので受付と書かれた場所でお金を払おうとすると、コスプレ大会の受付のようでした。 なんとも紛らわしいというか、「なにもここでやらなくても」と思いつつ、中に入っていくと順路は縄文時代から始まっていました。 順路の最初は縄文時代、竪穴式住居でした。 弥生時代 元々は鹿の子遺跡と呼ばれる8世紀末から10世紀にかけての遺跡があったようで、メインは鹿の子遺跡の復元住居となっています。 竪穴住居も連房式になりました。 柱も建つようになりました。 風土記の時代としては、この辺りが近いのかも知れません。 遺跡を抜けると再び復元住居群の順路となり、奈良~平安時代の建物から始まっています。 鎌倉時代 建物内部も当時のままに復元されていました。 「まんが日本昔話」に出てきそうな雰囲気です。 室町時代になると、現在にも見られる住居に近くなってきました。 各時代の住居群が一箇所に並んでいるのは珍しく、これはこれで興味深い比較ができました。 さらに先へ進むと、公園広場の先に面妖なものがありました。 高さ10メートルの獅子頭で、口の中は人が立って歩けるほどの大きさがあります。 関東三大まつりの1つとされる常陸国総社宮大祭の獅子頭を形どったもので、もちろん日本一の大きさだそうです。 これより大きな獅子頭が登場すると衝撃ですが、この獅子頭も「日本で二番目」になってしまうので、そうなると獅子頭の目にも涙かも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/10/23 08:34:46 PM
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