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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2012/11/18
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街歩きでは新しい発見があったり、さらに謎が深まったりと、なかなか興味深いものです。


水戸城(500x374).jpg
水戸のご老公(徳川光圀)を中心に助さん(佐々宗淳)と格さん(安積澹泊)

ということで、今回は黄門様ご一行のお膝元、茨城県水戸市を訪れました。
三ノ丸歴史ロードを通って弘道館から水戸城、そして常盤神社・偕楽園、さらには佐竹氏以前の馬場氏(大掾氏)の城跡など、あれやこれやと思い巡らせながら探索してみました。


水戸へは何度か訪れているのですが、水戸のみならず常陸国(茨城県)はまだまだワンダーランドで、私にとっては何かと謎と不思議の多い場所でもあります。

不思議と言えばこちら
印籠 (1) (375x500).jpg
常盤神社の義烈館で購入してはみたものの、そもそも何に使うものかわからずに持て余してしまいました。

試しに人に見せてみると、お約束ではなく条件反射で頭を下げてくれました。
何かことが起これば、「えーい、鎮まれ、鎮まれ」と、人に見せるためにあるようです。


ところで黄門様の「諸国漫遊記」はフィクションではありますが、実際に徳川光圀が「大日本史」を編纂するにあたって、佐々宗淳(助さん)と安積澹泊(格さん)は各地を訪ね歩いたそうです。

それならば「その間ご老公は何をしていたの?」となるのですが、藩政で忙しくてそんな余裕はなかったようです。

それでも水戸にずっといたわけでなく、紀行図を見るとそれなりにあちこち行っていたようです。
常盤神社徳川光圀諸国漫遊記 (479x640).jpg
江戸の水戸藩邸(現在の小石川後楽園)、権現様(徳川家康)の日光東照宮、本当に「隠居」していた常陸太田市の西山荘、さらには房総の銚子と、その「諸国」は武蔵・上野・下総の3ヶ国に及んでいます。

小石川や日光は出張で行ったのでしょうが、それにしても銚子には何をしに行ったのでしょうか。
さらには常陸太田市を隠居地に選んだ理由も謎で、同じ常陸であっても北部は元々佐竹氏の本拠地です。
現在でも茨城県は北部と南部では気質が違う気がするのですが、当時はもっと別国のような感じだったことでしょう。


「義公」と呼ばれる水戸藩第2代藩主の徳川光圀ですが、いわゆる私生児だったため、その出生も危ぶまれたほどでした。
水戸城義公生誕地 (2) (500x375).jpg
徳川光圀生誕地に建つ祠
背後に見えるのは水戸城本丸の土塁で、徳川光圀生誕地が水戸城内でないことを物語っています。
(家臣の三木仁兵衛之次の屋敷で生誕しています)

それでも武道のみならず文化芸術にも造詣が深く、何よりも庶民的な感覚を持っていたようです。
日本で初めてラーメンを食べたのもご老公で、偕楽園では「光圀ラーメン」として復元されています。
光圀ラーメン.jpg
光圀ラーメン(2008年7月)
一度食べれば十分なので、二度目はありません。


徳川光圀は「義公」と称され、偕楽園の隣には義公を祀る常盤神社があります。
常盤神社義公鑽仰碑 (500x375).jpg
義公鑽仰碑
漢文の文字は判読できませんでしたが、解説板に意訳がありました。

「世称す。聖人誤って干戈の世に生まれ、剣を堤げて英雄と為る。楠公(楠木正成)是なりと。
又云う英雄の資を治平の世に生まれ、百年の師と為り天下の法と為る、義公(徳川光圀)是なりと・・・」

いきなり出だしから感銘を受けたのですが、それに続く文を読み進むにあたって、感動しきりでした。
(湊川神社にある徳川光圀の顕彰碑の意味が、今になってようやくわかりました)


義公(徳川光圀)と並んで称されるのが「烈公」、水戸藩第9代藩主の徳川斉昭です。
水戸城徳川斉昭像 (500x376).jpg
水戸城三ノ丸の徳川斉昭像
実は黄門様の本当のモデルはこの人で、歴史や世間を騒がせながらも「庶民の味方」の代表もこの人です。

黄門様の諸国漫遊記が流行ったのは幕末から明治にかけてで、徳川斉昭の失脚後に脚光を浴びてきました。
助さん・格さんと共に悪を懲らしめる水戸のご老公こそ、烈公の徳川斉昭だったかもしれません。


ところで現在も使われる「御三家」とは尾張・紀伊・水戸の三藩で、ここだけは徳川姓を名乗る別格中の別格でした。

将軍の補佐役として、何かあれば尾張か紀伊から将軍を出すことになっており、「暴れん坊将軍」の第8代徳川吉宗以降、第14代までは紀伊の流れを汲む将軍が輩出されました。


高校の日本史では江戸幕府将軍の名前を初代から15代まで覚えましたが、世に名前を残したのは徳川家光(第3代)、徳川綱吉(第5代)徳川吉宗(第8代)、そして徳川慶喜(第15代)くらいでしょうか。

徳川家康の遺言として「水戸からは将軍を出すな」と言われたとも、水戸徳川では「もし幕府と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇することなく朝廷につけ」との家訓があったとも言われていますが、奇しくも初の水戸藩出身の第15代将軍徳川慶喜が最後の将軍となってしまいました。

ちなみに常陸最後の戦国武将は佐竹義宣、字は違っても同じ「よしのぶ」です。
(これは偶然でしょうが、あれやこれやと思いが巡るところです)


何かと逸材(または奇人)を輩出していた水戸の徳川家にあって、その徳川慶喜の父である徳川斉昭「裂公」も例外ではなかったようです。

常盤神社 (13) (500x375).jpg
「義公」徳川光圀と「烈公」徳川斉昭を祭る常盤神社。


常盤神社 (12) (500x375).jpg
常盤神社境内にある義烈館


実は「尊皇攘夷」は長州藩の専売特許や商標ではなく、元をたどると水戸藩に行き当たります。


実際に攘夷を実行したのは長州藩、関門海峡を通過する四国艦隊砲撃がありますが、よくよく考えてみれば、それ以前に桜田門外の変を決行していたのは水戸藩士でした。


水戸城下の旧三ノ丸には、「吉田松陰留学の地」もありました。

「所変われば…」とはよく言ったもので、長州(山口県)では吉田松陰が「遊学」していたのが水戸であり、水戸に来ると吉田松陰が「留学」していたようです。

遊学にしても留学にしても、松陰先生が教えを受けたのが藤田東湖です。
常盤神社 (4) (500x375).jpg
常盤神社の横にある藤田東湖の「東湖神社」
松陰先生が「留学」していた時の師、藤田東湖を祀る神社です。


さらに常陸の歴史を振り返った時、平将門が朝廷に反旗を翻した地であり、南朝の北畠親房が拠って「神皇正統記」を著した場所でもあり、その歴史は長く深いようにも思います。


ところで水戸と言えば納豆で、これが大の苦手であり、水戸に対する苦手意識でもあります。
(水戸の人に言わせれば、それほど納豆を食べないとのこです)

「出された食べ物は残さず食べる」が私の流儀で、クサヤ・ドリアン・臭豆腐にしても、食べられないものはありません。

「嫌いなものはあるの?」と聞かれるほど何でも食べる私ですが、納豆に関しては生涯で3粒(1粒×3回)しか食べたことがありません。

東日本の旅行先などでは朝食に納豆が出るので、どこで納豆を食べているかわかるほど、納豆には敏感です。

3回チャレンジしてもダメだったので、一生無理だと思っています。





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最終更新日  2018/09/06 08:31:19 PM
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