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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(茨城編)
天下の水戸城のお膝元に、なんともローカルな城があったものです。
住宅の脇にひっそりと城跡碑がありました。 さらに奥を探してみると、舗装道ながら細い一本道が続き、傍らには土塁の跡が残っていました。 南側を桜川が流れ、現在は緑地公園となっていました。 この先は水戸城外堀の役割もあった千波湖、偕楽園へとつながっています。 桜川から見た見川城遠景 樹林の生い茂る丘陵へは、城址橋と名付けられた橋が架かっていました。 城址橋を渡って樹林の中に入ってみたものの、木々に隠れて城郭の遺構は見つけられませんでした。 12世紀終わりに水戸城を築いた馬場(大掾)資朝の子である馬場長幹が、この地に住み箕川氏を称したのが見川城の始まりです。 後に水戸城を治めた江戸氏の家臣、春秋石見守幹光の居城であったと伝えられています。 戦国時代には水戸城の支城として重要な役割を担ったのでしょうが、徳川時代の始まりと共にその役目を終えたのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/19 10:39:32 PM
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