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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(滋賀・京都編)
ラーメンの激戦区となっている一乗寺・北白川界隈、ここは宮本武蔵の決闘の地でもありました。
宮本武蔵の決闘では巌流島があまりにも有名かと思いますが、「一乗寺の決斗」は小説や映画でも取り上げられており、その舞台となったのが「一乗寺下り松」です。 一乗寺下り松 現在の松は四代目で、その横には「宮本 吉岡 決闘之地」の碑が建っていました。 現地の解説板によると、ここは近江から比叡山を経て京に至る交通の要衝で、一乗寺下り松は旅人の目印となっていたそうです。 アスファルト舗装道を挟んだ向かい側には、かつての道標が残っていました。 宮本武蔵が吉岡一門と決闘するにあたり、戦勝祈願を行った場所が八大神社でした。 八大神社鳥居 参道はアスファルト舗装されていますが、ここから300mほど行った場所に本殿があります。 八大神社にあるイラスト(やはり二刀流です) そう言えば、一乗寺から叡山電鉄で鞍馬に行く途中には、マンガ学部で知られる京都精華大学があります。 八大神社の境内には、一乗寺の決闘の時に植えられていた「一乗寺下り松」の古木が祀ってありました。 その一乗寺下り松の前に立つのが、二刀流の宮本武蔵像です。 子供の頃に剣道を習っていたことがあるのですが、個人的には千葉周作の北辰一刀流(赤胴鈴之助)が好きです。 ところで、一乗寺下り松の「宮本 吉岡 決闘之地」碑の横には、もう一つ碑が建っていました。 「大楠公戦陣蹟」碑 傍らにある碑文を要約すると、足利尊氏と楠木正成がここで対陣し、楠木正成軍が足利尊氏軍を追撃したとあります。 「太平記」の世界では、足利尊氏は九州から瀬戸内海を海路で進軍しており、楠木正成の相手は足利尊氏ではなく、陸路で進軍してきた尊氏の弟、足利直義でした。 さらにその舞台は京都一乗寺ではなく、兵庫湊川です。 宮本武蔵が一乗寺で戦った吉岡一門は、「扶桑第一之兵術」として代々足利将軍家の師範役でした。 もしかしたら「一乗寺の決闘よりもずっと前、すでに楠木正成が初代足利尊氏とここで戦っていた」というシャレなのでしょうか。 (まさかこれが史実ならば、桜井の訣別とかって、一体何だったんだろうって話です) 関連の記事 巌流島(2011年4月)→こちら 宮本武蔵全一冊合本版【電子書籍】[ 吉川英治 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/01/14 12:19:57 PM
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