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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(滋賀・京都編)
二の丸の周囲だけでも多くの建造物が現存しており、これだけでも見ごたえは十分なのですが、二の丸の中はさらに圧巻でした。
二の丸の唐門と築地(国指定重要文化財) 1626年の行幸時に建てられたもので、唐破風を備えているため、唐門と呼ばれています。 唐門 日本の城郭建築の中で、御殿が現存するのは川越城・掛川城・高知城と二条城の4城しかありません。 そのうち二の丸御殿が現存するのは掛川城と二条城だけですが、二条城の方は別格かも知れません。 二の丸御殿「遠侍及び車寄」(国宝) 二の丸御殿は、遠侍及び車寄・式台・大広間・蘇鉄之間・黒書院・白書院の6棟がつながっており、いずれの建物も国宝に指定されています。 二の丸御殿は中に入って見学することもできますが、内部は撮影が禁止されていました。 二の丸御殿は1603年に徳川家康によって造営され、その後1626年の御水尾天皇の行幸に備え、徳川家光によって現在の姿に改造されています。 建造物もさることながら、狩野探幽など狩野派の障壁画も当時のままに残っていました。 二の丸庭園に回ってみると、外から二の丸御殿を見ることができます。 奥から遠侍及び車寄・式台・大広間(いずれも国宝) 大広間 第15代将軍徳川慶喜が大政奉還を諸大名に諮ったのも、この大広間でした。 (内部は人形によってその様子が再現されています) 武士による封建制度が終わりを告げ、日本の歴史も中世から近世へと移り変わった瞬間を、リアルに見ているような感じでした。 白書院(国宝) 二の丸御殿の最も奥にあり、将軍の休息所や寝所となっていた場所です。 二の丸御殿に面しているのが二の丸庭園で、作庭の名手として知られる小堀遠州(小堀政一)の作事です。 桃山様式の池泉回遊式庭園です。 二の丸庭園と大広間 ところで二条城の二の丸御殿と言えば、鴬張りの廊下で知られています。 現地の解説板にはその仕組みが図入りで書かれていました。 外部からの侵入者に備えるためとばかり思っていたのですが、その解説板によると築造当初はその意図はなく、経年劣化によって自然と音が鳴るようになったとのことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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