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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(茨城編)
新羅三郎義光の孫、源昌義(佐竹昌義)を初代とする佐竹氏。
戦国時代には、「鬼義重」の第18代佐竹義重が伊達政宗や北条氏政と互角に戦い、第19代の佐竹義宣の時、ついに常陸を制した名門です。 その常陸源氏の発祥の地とも言えるのが、常陸太田市(旧久慈郡佐竹村)にある馬坂城です。 周囲を耕作地で囲まれた中に馬坂城跡があり、城跡碑と解説板だけが建っていました。 城跡碑 佐竹氏発祥の地としては、何だか寂しい気がします。 現地にある縄張図 「御城」と呼ばれる本丸跡 本丸の周囲をめぐってみると、わずかに空堀跡が残っていました。 本丸北側の空堀跡 建物の敷地として利用されています。 本丸南側の空堀跡 こちらは耕作地になっていました。 新羅三郎義光の孫である源昌義が、この地に永住して本拠地としたのが馬坂城でした。 源昌義が祈願所としていたのが佐竹寺で、馬坂城から700mほど行った場所にあります。 佐竹寺仁王門 佐竹寺は当初観音寺と呼ばれていましたが、源昌義が境内に節が一つしかない竹を見つけ、これを瑞兆として以後は佐竹氏を名乗るようになりました。 佐竹寺は1543年に戦火で焼失しますが、1546年に佐竹氏第17代の佐竹義昭によって、再建されました。 佐竹寺本堂(国指定重要文化財) 佐竹氏は第2代の佐竹隆義の時に本拠地を太田城に移したため、以後馬坂城には佐竹氏の一族の居城となっていました。 関ヶ原の戦い後の1602年、佐竹氏が国替えによって水戸城から出羽久保田城に本拠地を移すと、馬坂城も廃城となっています。 佐竹義宣秀吉が頼り、家康が怖れた北関東の義将【電子書籍】[ 近衛龍春 ] 佐竹義重伊達も北条も怖れた常陸の戦国大名【電子書籍】[ 近衛龍春 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/06/13 02:54:13 AM
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