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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(茨城編)
近代的な原子力関連施設が建ち並び、「村」の名称とのギャップを感じるのが茨城県東海村です。
その海岸通りから少し内陸に入ると、中世的な石神城の城跡があります。 石神城は遠見城(Ⅰ郭)、御城(Ⅱ郭)、Ⅲ郭から成る連郭式で、現在はⅡ郭とⅢ郭の遺構が残っていました。 石神城Ⅲ郭の虎口 空堀と土橋が残っています。 Ⅲ郭の空堀跡 深く掘られた空堀がはっきりと残っています。 Ⅲ郭の曲輪跡 雨上がりの木々の下を歩いたので、レンズに水滴がついてしまいました。 Ⅲ郭とⅡ郭(御城)の間には喰い違い虎口があり、空堀に土橋が架けられていました。 Ⅱ郭虎口 Ⅱ郭の曲輪 石神城の中で最大面積であり、実質的な本丸機能だったかも知れません。 Ⅱ郭の空堀 実戦を経験した城郭の中で、ここまで遺構が残っているのは素晴らしいと思います。 石神城が歴史に登場するのは1432年の「石神合戦」で、小野崎越前三郎が石神城を攻略し、鎌倉公方足利持氏より感状を与えられたとの記録があるようです。 その後石神城は小野崎氏の居城となり、小野崎氏は佐竹氏に従っていました。 ところがこの小野崎氏も、石神小野崎氏と額田小野崎氏に分かれて互いに争い始めました。 1535年には石神小野崎氏が佐竹氏に謀叛を起こし、額田小野崎氏が鎮圧するという騒ぎも起こっています。 関東では北条氏、東北では伊達氏が勢力を拡大する中、「石神合戦」は何ともローカルな争いだと思います。 石神小野崎氏と額田小野崎氏はその後も争いを続けていたのですが、結局石神小野崎氏が佐竹氏に従い、本領を安堵されたそうです。 その後は佐竹氏が常陸水戸から出羽秋田へ移封されたのに伴い、小野崎氏も転封して石神城も廃城となっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/06/13 08:26:45 PM
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