見当違い
サラリーマン時代の営業研修は岡山だった。1976年の6月一杯は岡山での生活だった。あのアントニオ猪木がモハメド・アリとの世紀の八百長一騎打ちを見たのは、岡山駅前の蕎麦屋のテレビでだった。「去年、昭和50年入社は大量採用の年でね、とんでもないのが入社していたよ。」営業研修で車で客先回りに連れて行ってくれたMさんがそういった。第一次オイルショックの後急激に採用を控える会社が増えだしたのが昭和51年だった。「そこえいくと、今年の採用は数も少なくて優秀な人材が揃ったらしいね。」Mさんの乾いた言葉が宙に浮きそうだった。「何しろ、去年営業研修に来たの、加藤っていったかな、話し方もなってないし、第一簡単な漢字が書けないんだよ。本当にびっくりしたよ。よくあんなの採用したもんだ。」このMさんとは3日間一緒に仕事をさせてもらった。「今日は、午後から仕事しなくていいよ。パチンコ屋に行こう。」ベテラン営業マンのMさんは二日目の午後そう言った。「明日は、3日間まとめて日報を書こう。本当は毎日書かないとならないんだけどいいや。」Mさんは営業の勘所をしっかりと抑えている人だから、こういうことができるのだろうと思った。3日目の夕方、Mさんと私は喫茶店に入って3日間の日報をまとめて書くことになった。「じゃ、最初に岡村工務店。次に、SS建設。」という具合に書き進んでいった。書くことはすべてMさんが考えてそれを私が筆記していった。「中型ブルドーザーの購入を秋になったら検討って書いて。」「はい。」といって書き始めて、「検」を書いたところで「討」の字が出てこない。これが本当の見当違いだ、なんって言っている場合ではない。顔から火が出てく。手が動かない。「討だよ。言偏に寸。」Mさんは強い調子で言った。それからは、ぼろぼろと漢字が書けなくなってしまった。Mさんの新入社員研修員は、2年続けて外れになってしまった。この次、「検討」という漢字が書けなくなったらアルツハイマーの始まりと思っている。