毎日芋掘っても
16歳のビルは足のサイズが32センチだった。「明日の夜、ボーリングに行こう。」とそのビルが言うと、「私も行くわ。」シンディーも言った。こいつの履くシューズはあるのか、なんて心配しなくていい。ここはアメリカだ。シンディーはネブラスカ生まれの18歳、長いつやのある黒髪が腰まで素直に伸びている。白く体にフィットしたTシャツが眩しい。もしかしたら、インディアンの血が混じっているのかもしれない。舌足らずに話すそのエクゾチックな笑顔がたまらない。ワシントン州の州都シアトルから車で西に3時間ほど行った所にあるワナチにあったキャンプで2週間働いた。22歳の夏のことだった。ビル、ナタリー、シンディーそして私の4人でボーリングをしたが、私がビリだった。同じ投げるのでも砲丸は得意だったがボーリングはぜんぜんだった。でも、シンディーの底抜けに明るい甲高い笑い声が気になって仕方なかった。子供キャンプの仕事は、夜の食事の後片付けが終わると割りと暇になる。昼間の仕事は馬の世話とか干草の運搬など結構きつい。でもここで一番よかったのは晩御飯だ。テーブルの端から端までアメリカの味がぎっしりだ。盛り付けが派手で全ての食材の切り方が大きくお代わりも自由。こんな至福の日々を日本人を代表して私一人で味わってはもったいないと思いながらも毎日お代わり三昧だった。「ちょっと、星を見に行こう。」私は、そんな夕食のあとシンディーを誘った。まるで360度の夜空にこれでもかと星が瞬く。これほどの星を見たことがない。夏の干草が生暖かくにおってくる。キャンプ場の緩い光はもう私達には届いてこない。こんなとき、食いすぎのゲップが出ないようにするのは大変だ。どうも決まらない。二週間の滞在が終わろうとしている。「タコ、手紙出すわ。」これ私の住所。そう言ってシンディーが私に渡した紙切れには番地が書いていない。名前のあとに、Polk, Nebraska と書いてあるだけなのだ。東京の田舎実家の東村山でもちゃんと番地はある。これじゃ、まるで東京都東村山で終わっているようなもんだ。「こんなんでちゃんと着くなんて信じられない!」するとシンディーは、「ちゃんと問題なく着くのよ。」と自分の実家の田舎度を強調するようにちょっと怒って反発した。後で聞いたところ、人口はなんと400人だという。それで納得。私は、人口2億人の国のとんでもない田舎の娘と知り合ってしまったようだ。「これからずっとタコのことを神様にお祈りするわ。」それが別れの言葉だった。私は、自分が何を言ったか覚えていない。上気してしまっていた。そのときは、人口400人の字でも付きそうなそんな村で生活することなんて絶対に想像できなかった。しかし、齢を重ねてくると、アジア人は私一人ですなんて顔してそんな村で毎日芋でも掘っていてもいいように思えてくる。年は取りたいもんだ。ところで、シンディーが言ったように、ちゃんと手紙はあの住所で届いたようだった。