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2024年10月28日
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カテゴリ:哲学研究室

 (反芻)

 せっかくだから、無数に出て来た命題を整理しておこう。
 前節のみだが、もう一度繰り返す。
 くだくだしい物にはなりそうなんだが。
 耄碌して、なんにも記憶にとどまらんなって、言い出した本人がようわからんので。
 反芻する。


 「表象」とは、知性に瞳着的にインスタンスした「概念」のこと。
 頭脳メモリに刷り込んだ、表だけの形象のことである。
  つまり、その表の「象だけの」形象・継承。
 うすっぺらい、表だけ簡略化した、誤謬の継承なのだ。

 知的継承なのであるが、象の形してても、生きてる象そのものじゃない。
 表象だと、その場限りの「知的な」瞳着的概念や理念といった、仮のウソを指すことになる。
 知性も感性も、その場の時空のものが「図式利用」されるのは同じなんだが。
 知性だけの利用だと、どこか無責任になり、かつ嘘っぽくなる。

 ファンタジイ、ファンタスマといった言葉は、その「表象」を補完する用語だったんだが。
 つまり「現実の一部の再現企画のための表現」なのではあるが。
 しかし「形象」が「継承」であるように。
 現実に置いての、この共有概念も<何らかの、新しい享有を必ず持ってしまう>のである。
ーーーー1

 ファンタシアにおける誤った訳語が。
 それが「別の現実」ともいえる「人工時空を作っちまう」原因、ってこと。
 形象という形容概念も、必ず、何らかのそれ独自の「時空を立てて継承」するからだ。
 つまり「慶尚」なことをも言ってるんだが。
 <共有のそれが必ず「ネガチブに能図式として」働いている。>ので。
 つまり<無を控え持っている>ので。
 見えてない「ネガチブな人工物」を創り出してしまうことにもなる。

 これは倫理に、カテゴリーで拒否されてるはずなんだが。
 それが働いていない場合に厄介な事態が起きるのだ。
 厄災のこれはつまり。
 <客観的に知的な論述であっても、そこには無い(うふぉ)なことを言ってるのである>ということ。
ーーーー2

 (それに対しポシティブな享有の能図式のほうは、享有に対し・・・で「ある」、を繰り返し図式で指図する、それのみだ。)
 つまり、有をこそ同義反復的に言うばかりで、これだけでは埒が明かないのは同じ。
 ポジ、ネガは本来一体のモノ。
 その双方が揃わないと埒が明かない。

 ひっかかる人は、ここですでに引っかかって???だろう。
 「継承と形象は全く違う漢字で、まったく別の領域の表現じゃんか」と。
 同じオルガノン領域の、同じもんなんだよ。

 瞳着とは、知的に瞳着・インスタンスして対象と一体認識になりきるということだ。
 この働きを「知性」とも言う。
 瞳着で一体化し、知性そのものと化すわけだ、が。

 表象という言語を使う限り、それはいつまでも表象にすぎんまま。
 埒が明かん。
 表象が、ポジ、ネガの片面を図示するにすぎんので。
 片面では埒があかんままになる。

 知性そのものと化すそのあまり、その用語の幅の広さという感性に気が付かんまま。
 共有一点張りとなっては、ネガチブな時空に落ち込むだけなのだ。

 ファンタシアは、オルガノン領域の言葉である。
 つまり現実の、超幅の広い時空を利用させるための単語なのだ。
 <ファンタシアは、その現実の広がりに対応できる哲学的表現である>。
ーーーー3

 この哲学は、自分の無知を自分で知ること。
 知識を得ることじゃないんで,まちごうたらあかんエ。
 真実の認識だから、まったくの絵空事などではありえないし。
 無知だから、単なる「空想」や「想像」とも、なりようがない。

 本当に、仮の時空であっても、表象表現だと、モノが出来ちまうことばかりなのだ。
 (かくのごとく、心が構えてしまう、ということ。)
 しかし心を構えさせる相手が無知だと、しぜんと真実しか、できんじゃろが。

 つまり無意味な空想の戯れが人に真理をもたらしたりたり、哲学の深淵を見せたりも、ありえないのである。
 心を構えさせる相手が知的な瞳着物だと。
 ファンタジイやファンタスマが出来てしまって、それが溜まって来るのだ。

 現代西洋は、「知性の戯れの神話が創造のモトだ」、などと言うので。
 これではいつまでたっても埒があかない。
 神話は絵空事だし、モトを伝えるものがその場限りの人工物。

 まるで、時空として与えられているファンタシアという表現とは、逆の事言ってることになる。
 ウソ言って、心に構えさせて、ウソ作っているだけなのだ。

 イルミナティが、自分たちの組織の拠り所となる「論理の虚無主義」があって。
 それを隠すには、そういうほかない、からなんだろうが。
 「表象」訳だと、そうなってしまうんやが。

 そしてこのウソによって、時空は、モロに影響を受けてしまっているとわかる。
 現代の客観オンリーな世界では、現実とは本来繋がりのないはずのものも、発明するように。
 <霊界なども、想像(創造)ブツとなって、固有の疑似時空が出来上がってしまっていくのである。>
ーーーー4

 霊界は現実界では「ない」。
 実在とは「無縁」なはず、なのだ。
 無縁だから一体じゃないんだし。
 時空は単なる延長ではなく、区切りがされてて時空なんだから、縁取りが必ず要る。

 つまり霊界は、こころの居る世界とは別の時空に属するもののはずなんで。
 「霊界」と「現実」は、別門になってる、はずなのだが。
 時空に縁取りがなかったら厄介なことになる。

 共有の組織や理念とも、霊界は「無縁」なので。
 これらが、カテゴリーや倫理抜きで共有化されると。
 繋ぎようがないまま、新時空と一体化されてしまうのだ。

 つまり縁がないので、わからんままに融合され、一体化しちまうのだ。

 しかし霊界は、「個人享有」とのみ、大いに関係があるはずのもの。
 カテゴリーを通じて、倫理的に図式が働くので、そうなる。
 空想が絡むから、そうなるんじゃない。
 先に言った通り、時間・空間の後先を逆にしちゃいかん。
 現実との関係問題なので、数学理論でメタバシスに扱っちゃいかん。

 もともと享有と、それのみと一体の、そこから取り出した「認識もの」だからだ。
 享有が絡む、しかし非現実のものが霊界。

 だからこれが、カルトとなり宗教教義になると、逆に現実を導く紐に使われる。
 「霊界の原型」が、個々人の信仰内に、勝手にできてしまうからだ。
 心が、図式に構えさせられる事態となる。

 つまり霊界じゃなくて、「例解」に例えた(無の)の「零会になる」んだろうかな?
 本来の「例会」とズレてしまって悪魔的なものに、なっちまうわけだ。
 霊界認識というのは、まったくの未知の領域から現実へと至る認識なんじゃ「ない」、からである。
 必ず、現実のモトがある。

 <現実をもとに、それも、人工的に作られる認識>なのだ。
 それが霊界。

 現実の後のモノ。
 つまり霊界は「人工の共有もの」であって。
 つまりつまり、これが「悪魔的作品」ということなのだ。

 それ使って、ムリヤリ「他の享有者を扇動しての共有化や標準化を図って」。
 共有する現実と経験を繋げようと、企画し実行する。
 それが、共有のカルト組織というものなんである。

 共有になって初めて、別名オカルト業界とも、つながるのだ。
 つまり、悪魔的になって初めてつながる。
 享有だと、つながりようがない。

 宗教組織とも呼べる、「詐欺師集団」が、ここにできる。
 これは明確に言うべきなんだ。
 「共有のオカルト集団、宗教集団は、必ず詐欺師の、相互扶助と詐欺目的の集団なんだ」と。
 個々人の体験や信仰は真実であったとしても、共有関与が、それを詐欺師業界にする。

 だから享有の「宗教的現実」も「敬虔」も、共有関与では享有物に見えてても、そこに普通にでてくるのは「ネガチブな人工物」になってるわけだ。
 個々人にポシティブを説いて。
 共有する(ウソの)ネガチブを「強要している」わけだからだ。

 個々人の信仰では確かに真実であったとしても。
 集団になると、しかし、これらは詐欺的行為をのみ生み出すのである。


 これは享有の・・・で「ある」、共有の・・・で「ない」の、図式の働き。
 <オルガノンの倫理法則によって>、そうなるから、そうなる。
 だからカルトは普通、「その集団内部でしか通用しない」わけだし。
 宗教の教えも一応、「宗教教義にすぎん」ことになってる、のである。

 倫理的なものを、客観事態では本来、持つことができない。
 「倫理規制委員会」なんて、ありえない。
 俺たち詐欺師集団だ、と言ってるのと同じ。

 倫理と言うこれは、享有のものだけの「・・・である」、という享有認識図式だからである。
 (同時に、共有にはネガチブ図式。)
 だから客観性を持つとされる科学用語なども、同じ問題が出て来るはず。
 「実は宗教と同類」のカルトなのだろう。

 科学用語は「享有論文」があって、それが支える。
 知識や技術物。
 つまり理論であって。
 理論がなけりゃ科学じゃない。
 (テクノロジーは理論がないので、科学じゃない。)

 そして共有のパラダイムが、これを支えてはならないのである。
 現実にはもちろん支え介入して、「共有のパラダイムが出来てしまっている」のだ。

 しかし、これを、この倫理を、享有のものだと科学者は認識・反省できてない。
 だからだから、そうなるのだ。
 …である、ポシティブな享有図式を、まったく見ていない。

 カテゴリーが示唆しても無視する。
 倫理違反やりたおして、ほとんど詐欺同然となっている、のが実情。
 ほんま、共同幻想といっていい類のものとなってしまって、その上マトリクス化されてて。
 特殊な世界に囲い込まれているのが、現代の科学技術の日常だ。
 オートメーション化して、ゲシュテル化して、世界像の共同幻想となってしまっちょる、ということ。

 ニュートンの法則もパラダイム化して。
 それがオイラたちの「日常認識を形成して」しまっている、心を構えさせてしまっているということ。

 本来、「集団でしか通用しないはずの宗教教義が」ある。
 それが、世界共通の世界像認識の基礎主張になってしまって、現代のような科学の時代の現実が、日常がそれで出来ている、わけだ。
 オイラが「科学は危険な宗教だ」と言う、その事態が、ここにある。

 明確に言うべきである。
 科学は、科学技術に厳密に定義認定され、学問的に管理されるべきである。
 享有論文で個々人に理解されていない限り、無自覚に共有で扱うと、実に「危険な宗教」なのである。
 <現代の科学技術は、野放図のまま、すっかり危険な宗教と化している。>
ーーーー5

 時代の趨勢によって、個々の享有者のものとなって「ある」のは確かだが。
 但し、「ネガチブな共有として宗教化し」、その理論が「カルトを騙っている」のだ。

 共有が、「ネガチブな無の働く図式」に負う、ということが、科学従事者に全く見えてない。
 権能ばかり目的もって見て、目的の働く部類のもの、とみなしているから、なんだが。
 図式が見えてないんで、特に厄介。
 共有のものである限り、それを支える図式があるのだ。

 この、現代という時代の持つ、「世界像の危うさ」、がわかるだろうか?
 魔法は動いているのに、魔法の道具も魔法使いも見えてない。
 オイラにも見えにくい物なんで、たぶん、ほとんどの人には、何にもわかってないと思う。

 これらが、ナチスの先生が警告した「世界像の時代の危うさ」でもあるのだ。
 先生とはまったく別の言い方で表現したつもり。
 実に危険なものなのである。

 特に現代科学は、その基礎に、享有の形而上学的問いを隠し持ったそのまま。
 だから一そう危険なのである。
 基礎がないのに基礎探求のふりをする。

 個々人の「宇宙論」・「神学」・「心理学」が、必ず科学技術の基礎にあって、底を支えておるのだ。
 しかもこれが、キリスト教と言う共有カルトによって、霊界と同居している。

 その一方で。
 モノとは何か、自然ブツとは何か、その基礎へと問いかけ、ひたすら再現技術を磨いているばかりで。
 ネガチブな共有図式に指図され、翻弄されるばかりで。
 実は(答えのない)享有の問いを満足させようともしてない。

 科学技術は、その基礎の形而上学を不問にしてそれ以上問わない。
 そのことで、もともと成り立ってるんだが。
 しかもその基礎には「先験的誤謬」があると、これは明確に言えることだからでもある。

 コレはもちろんカント先生の言い方の継承である。
 現代社会が忘れて、不問にしている、先験論議基礎。
 こんなん、哲学的基礎なんかじゃおまへんよ。
 科学技術の、現代の、「危ういパラダイムの」基礎。
 あらかじめ破滅してる、基礎。

 科学のその基礎において、形而上学は先験的に成り立たない。
 ということを、かって科学者でもあったカント先生は明快に、その純粋理性批判で述べているのだが。
 先生自身はコペルニクス的転回やって哲学者になってるので、すでに科学者ではない。
 新しい立場から述べているのである。

 これを気に入らん科学者が、哲学に背乗りして、科学哲学と称したりして、享有の倫理問題を見えんようにネガチブにして、胡麻化し。
 物事を悪魔化させていったのだ。

 科学技術の基礎は、不問にはできない。
 「個々人」の認識という基礎なのに。
 現代は、それを言葉の綾で、命題的に不問にしたまま。
 「科学技術は、テクノロジーに進化したんだ」と、する。

 これは新手の詐欺師たちの言い分である。
 テクノロジー持ち出して言うんだが、そいつは科学理論とは無関係だから、不問にはできないのに騙されて不問にする。
 それが今日の現状だ。
 この現状がパンデミックを引き起こす。

 この項目で、オイラ「死者の断片排泄物」を、エクソソームだと書いてた。

 死者を貶めるつもりはないし、エクソソームについても同様である。
 重要な物で、命の維持に大事な、生体からの排泄のもんである。
 しかしエクソソームは「死者の領域に属する、科学的な認識新物質だ」、という事実がある。
 これは、明確にしておく必要がある。

 これを曖昧にして、詐欺的なウイルス学ができている、からだ。
 ウイルスは生き物なのに、生き物の定義を曖昧にして、破綻理論の延命を図る。
 死者ももちろん、共有の縄文文化では、広場の中心に置いて<祀るべき崇高な存在>であるので。
 (享有の)想像に利用したり、ましてや霊界に棚上げしては、いかんのである。

 しかしオルガノンは、生きている命の営みのこと。
 享有・共有の区別なども、もともとは、ない。
 <オルガノンにおいて、すべては心身一体で繋がってくる>からだ。
ーーーー6

 それを表現、具現しているのがファンタシアという言葉であって。
 ポシティブな有も、ネガチブな無も、つまり享有も共有も、その言葉で混然と一体のものとなっている。

 科分離認識すれば別物になるかもしれんが。
 それでは人工の、死霊のものを創り出すだけのことで、終わってしまう。
 それどころか、悪魔が出てくる。

 <ファンタシアは、(虚構の、形象として)客観化できる言葉ではない。>
ーーーー7
 客観的に形容すれば、それと同時に必ず、力関係も問題になってくる。
 科分離して客観的に論述しようと謀ると、ネガチブに偏ってしまい。
 悪魔的なものに化けてしまうのだ。


 しかし科学は、それを強引に積極推進しようとするのである。
 「倫理」抜きで、「倫理規制委員会」を作ろうと謀る。
 倫理的に騙ろうってんではなくて、倫理を規制する。
 それが使えないようになるような規約を、仲間内で作ろう、ってことなんだ。
 悪魔の発想なのである。

 対象を微分して切り分けて、全体の現実を客観視して積分して。
 つまり無のネガチブ図式導入することで、ネガチブに偏らせて。
 むりやり科分離論述を推し進めるための人工図式ものだ。

 やってる連中は、何を期待しているのか。
 「当初の、優生学主題の目的に沿わせたい」、だけだろうとは思うが。

 優生学は、ダメなもん、なんだよ。
 悪魔の理論なんだ。
 それをちゃんと認識すべきなんだ。
 認識してるか?

 優勢な現実も、共有主題だとネガチブ化されているので見えん。
 なので、なので、対象が定まらず、すでに客観化できないし。
 (もちろん主観的にも、明瞭にはならん、のであるが。)

 対象なんて、共有からも享有からも捉えきれない、はず。
 彼方や手前に勝手に、(ウソの)時空作って立てた人工物だからだ。
 ゲーゲンシュタントやフォルシュテレンしたもの。
 優生学主題の目指す「目的」なんぞは、いつまでたっても明晰判明にはならんわけだ。
 これは享有のもんだし、享有だと「生命の同義反復で終わる」だけのもの、なんで。
 所詮、「ウソを言って空に仮託して、想いの絵を描くことが<客観的な物事>である」ということになっちまう。
ーーーー1

 (当初の命題に戻って来た。)
 強引な「共有化への対話推進には、この「空想」以外に、「騙す」ことも必須となる」始末、なのだ。
ーーーー8

 享有認識の権能である「ある、」ということを騙して。
 その役割を持つ図式の働き部分を、そこだけ取り出して「権能化」させ。
 優生学的に判定して「公共利用」する。

 それが「共有化しての利用」ということ、だからだ。

 しかも客観を立てるには(ダメな)優生学が立たんと、立たない。
 <優生学抜きには、科学理論はムリなんだよ>。
 この理屈がみんな、わかってんのかどうか?
 優生学が即、科学っつうことなんだよ。

 たぶんわかってない。
 騙されてるからだ。

 そして「騙す」ということは。
 <ネガチブな役割を持つ図式の、ネガチブな働き部分を「部分利用する」、ということである。>
ーーーー9
 騙しはウソの始まり?
 いや、ウソが騙しの親なんだ。
 必ず享有が先。

 無い、という「ある」権能を騙して裏向ける、んではなくて。
 「享有と一体のある」権能、を騙して、能面を被らせ。
 享有を隠ぺいさせている。

 そのために、(騙し目的に)どうしても要る必要不可欠な、「ネガチブ」権能なのである。
 図式が示す権能を、科分離して再度利用する、わけだ。
 表象認識を持たせ、しかもあり、え、なくする。
 これが、「能面を被らせる」、つうことの意味だ。  

 これらは、共有において始めて「ある」ことのできる、オルガノン権能なのである。
 それを騙して利用する、のだが。
 それが<ありえ、なくする>、つうことなんだ。

 騙す、ということを「隠ぺい目的」と、その結果から考える場合も多いだろうが。
 もっと根源的な、図式ものであったようだ。

 実は「騙す」は。
 <(見えてない)図式が享有者を動かし<魂を形成させる>、その有様のこと>。
ーーーー10

 目的を隠して結果出してるんじゃなくて、「虚偽の魂形成」をさせている。
 対象を隠してんじゃなく、虚偽の魂形成をさせる。
 つまり能面を被らせて、(・・・であることを)演出している。
 人工の図式利用なのだ。

 想像には近いんだが、その、「像化」と言った意味相が、固有には持ってないので。
 表象で「魂を形成させる」のに、像化の関与は、ないのだ。
 (だから表象表現は、誤りといえる。)

 つまりそもそも<ファンタシアは、知的な瞳着の働く権能ではない>んだと思う。
 図式利用の、こころ騙しの一種、<面被り演劇>のほう、なのだ。
 自己「撞」着、と言う言葉で確かに、この欺瞞的意味合いを表現するが。
 騙す相手は自己享有ではなくて、カテゴリーの方をこそ狙っている。

 カテゴリーを操ろうとする、「倫理強要的な働き利用」だと言う事。
 この倫理の範囲を看て取れない、メタバシス主義者のようなグループも多いけど、悪魔も多いから、これがわかる。
 彼らは、「享有物である倫理」を、むりやり「共有のエチケットにしてしまう」始末だ。
 もはや悪魔と悪魔主義者を区別する必要もない。

 (だから共有でも瞳着が起こり、(何かの目的が)象化を図れば、図式はネガチブに反応する。)

 途中だが、疲れたので休憩。








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最終更新日  2024年10月28日 14時23分18秒
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