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カテゴリ:母
友人の夫が病ということで、車で3時間かけて見舞いに行った。
友人は、話の中で 「○○おば様が90才で他界されたそうね?」と、聞いた。 私はびっくりして、 いつ亡くなったの?どこからその情報が?と思う。 赤の他人の口から、近しい親類の訃報を聞くとは、驚きであったが、 さりとて、私に正式に知らされていたとしても、 どうしたものかと思わないでもない事でもあったから、 知らされなかった事は、いたしかたがなかった。 亡くなった女性の名を朝子としよう。 朝子は母の長兄の たったひとりの娘であった。 朝子の長い人生の中では、心を許せる人は、 私の母ただひとりだった筈なのだが、 10年前にちょっとしたことが原因で、母と袂を分かち、 母の葬儀にも姿をみせる事はなかった。 母の長兄は、若い頃、肺病を患った。 その頃の肺病というのは、 死に至る病だったが、母親の献身的な介護で完治した。 入院中は、毎日毎日、体に良いという食べ物や おいしいものを届けて食べさせ、 どこのお大尽かと思われるほどだったそうだ。 彼は、ビロードのような眉毛と、二重の大きな黒い眼であったから、 看護婦長さんが惚れてしまって、退院してからは、 おしかけ女房におさまった。 結婚してみると、 家計は、姑がにぎっていたし、(私の祖母のこと) 彼は、全く働かず、本ばかり読んでぶらぶらしている男だったので、 愛想を尽かし、あっさり別れて出て行ったそうだ。 しかし、 また次にすぐ、2人目のおしかけ女房があらわれたそうだ。 その女性が、朝子の母親だ。 朝子の母親も朝子が18才になったころ、 地方のやくざの親分の愛人になって、夫を捨てて出て行った。 そして、日本舞踊の師匠となって暮らしたそうだ。 朝子は、そんな母親を許さず、母親が会いにきても 決して会おうとしなかったそうだ。 朝子は、ある大きな会社の社長秘書になっていたが 戦争が始まっても、実家には戻らず 社長とともに会社を守っていたところ爆撃に遭い逃げ惑ううちに 社長の2号さんの人生を生きることとなった。 あんなに嫌った母親と似たような道を歩むとは・・・ 彼女の理解者は 私の母、ただひとりだったのにね。 強情な女だから・・・ ダークマターの満ちた宇宙のどこかで、 もう、母と再会しているかしら。 合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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