イタリア語について私的いろいろ考えた
私の場合外国語なんてヤダー(¬д¬。) って英語も嫌いやし、関らないよって避けてたわけでだから私はダーリンの訪伊後9年結婚するまで彼の住んでるイタリアとかかわりを持っていたのにまったく話せないのに努力もしなかってん彼がイタリアに行く前は勉強してるのをなんて大変なことをしようとしてるんやこの人は,,,なんておつむの悪さを爆発させていた結婚が決まる頃にはこれじゃいかんと少しは勉強したんよ、でも、ほら、学生時代もいたでしょ、どうしても英語のダメな奴先生が好きでも、教室や、塾行ってても、例えば英語の話せる外人の友人が出来てもその子を日本語ペラペラにしちゃう子(x_x;)話せたらかっこいいなってすごく感じててもどうしても英語がだめ、英語に拒否されてる子その子ってやっぱり私のことなんσ(^_^;)そしてイタリア語もまたしかり、、、イタリアに来る前にやっぱり勉強したんよでも何も身についていなかったことをこちらに来てめっちゃ思い知らされた毎日生活しているといやでも覚えるってそんなことを思いながら日々は過ぎてるけど甘かったように思う( ┰_┰) 反対に国語はものすごく好きやった本を読むのもものっすごく大好き訪伊の際には毎回重量ぎりまで本を抱えてるそんな私がイタリア語ほんの少し前に進んで今やっと気づいたこと、感じるのは日本語にこだわりすぎている自分きちんとイタリア語を日本語としてすべての単語を置き換えて理解できないと納得が出来ない前に進めない意味が納得できないから覚えられないそんなこだわりがとても多いことに気がついた分からなかったことなどをダーリンに聞くと別にそんなことは気にしなくていいとかイタリア人でも間違っているとか分かってないとかそれはそういうもんだからとか何をそこまで気にしてるん的な答えがとても多かった。例えば確実に違う単語を並べられ、同じ意味だから語呂とかがいいほうを使うってかんじ。といわれても納得できない!なんで~ってある日友人が夫婦で仕事で留守でいないから三日ほど子供達預かって~っときた今思うとあれって私のイタリア語の荒療治だったんやと思う子供と話しているうちに肩の力が抜けたというか日本語とイタリア語は違う国の言葉なんやからこの子は何を言いたいのかを日本語で考えるんではなくこの子はいったい何が言いたいのかってイタリア語のままで受け止めたらいいんだってすごく簡単なことなのにさっぱり分からなかったことにやっとたどり着いた気がした子供にイタリア語教えてくれる?って聞いたら嬉々として教科書を引っ張り出してきてくれたたんくり(お兄ちゃん)がまず私に教えてくれたのは名詞とは男性名詞と女性名詞があるってことでなく固有名詞と普通名詞があるってこと,,,これが国語と外国語の授業の違いなんだと改めて実感したたんくりに聞いてみた「私前置詞が苦手だから意味とか使い方教えてくれる?」早口言葉のように歌うように教えてくれた「でぃあだ、いんこんす、ぺるふらとら、って覚えるといいんだよ」横からるる(妹)が「私も言える!でぃあだ、いんこんす、ふらとら」間違ってはいるが八歳のるるの宿題は私には結構難しいΣ( ̄ロ ̄|その後たんくりが一言「でも意味なんて無いよ」って、、、私はまだ分かっちゃいないってことなんだな(ノ△・。)そっかぁ確かに日本語の助詞の「がのをに,,,」の「が」ってどういう意味なんて考えて言葉って使わないもんね今は分かんない納得できないってことがあるたびに日本語のほうが納得できないこと多そうやないってこんな風に日本語の例を探すことにきらきらしているんなんだかまだまだ書きたいことがあるけど長文になって見にくくなってきたから次回にまわそうかな次に続くかもって事で…