「元宋の赤」に魅せられて…つづき
「一昨年90歳で逝去した日本画家の重鎮奥田元宋」…と招待券の裏側に書いてある。今回は夫人であり人形作家の奥田小由女(さゆめ)さんとの作品と一緒の回顧展である。入り口付近には農村の牛と子供ののどかな風景の絵があり、町の家々を描いたものはどこか西欧的である。そんな絵が6,7点続いた後、急に鮮やかな、燃えるようなそれていて深い赤が目に飛び込んできた。深いと言っても真紅ではなく、「朱」だと思う。私のベストカラーではないか!雪渓の下に広がる紅葉、空には月が…そんな作品が何点かあった。圧巻は大作「紅嶺」。ここに描かれている月はまさに球体だ。肉眼で見える月ではない。その存在感は作者の年輪を現している様に思えた。一番好きな絵は、1971年に描かれた「霧雨」である。真っ赤な紅葉の波…そこに極めて薄く白く霞のように振りそそぐ霧雨…右下に葉を黄色く染めた木が一本だけある。そして中央にも薄く黄色になった木が2本ばかり…構図、色彩、なにもかもすばらしい!彼の技法は「新朦朧体」とも言われたらしい。一昨年、90歳で亡くなる直前まで絵筆を持っていたらしいが、老いても情熱を失わない魂には感動する。そこには、彼を支え続けた夫人の存在がある。かなり年下と思える小由女さんの人形からは慈愛に満ちた女性らしい感性が伝わって来る。元宋が亡くなった夜は月がきれいでまるでご主人が月に導かれているような感じがしたと、作品の説明に書いてあった(と思う)が、さすがにアーティストだなぁと思った。嗚呼、絵を思いきり描いてみたい。ひとりきりのアトリエで、キャンバス代や絵の具代を気にすることなく…いやいや、本当に好きなら、どんな事があってもずっと描いているはずだ。若い頃は絵で食べていく事なんて出来ないし、自分に才能なんかないと思っていた。石膏デッサンはそこそこで、絵の先生には「どうして、デッサンはこんなに出来るのに、風景画、ダメだね~」と言われたものだった。風景画を描く事は、好きでない。人物、女性を描きたいと思う。時には聖母であり、時には鬼女、或いは奇女になる、そんな女性の顔を…いつか、近い将来きっと…21世紀のグランマ・モーゼス目指して!…なんてね~もう、いいのだ!一生、あがいていくぞ。「元宋の赤」にエネルギーをもらった。帰りの電車の中で頭がいつもよりはっきりしている自分を自覚してビックリした。いつも死んでいるのか、私は…ああ、大好きなアートに常に触れていたい。でも、感動するのはいろんな人生経験を経てきたからかもしれない…招待券を下さった、母の日舞仲間の方、ありがとうございました。余談ですが、日本橋高島屋の7階、カフェ・ド・セブンはカウンター席のみですが、自分の好みのカップを選ばせてくれます。和風、洋風、ステキなカップたちがガラス戸棚の中で待っています。今度はあのカップにしよう、なんて思いながらのコーヒー・ブレイク…お勧めです。