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カテゴリ:あゝ、荒野
まずは…11月5日。ソワレのチケット当選していたので、九州の北の端から本州埼玉へ。
ブログで知り合った嵐ファンの方と落ち合って、それはそれは楽しい夢のような時間を過ごした後、一路彩の国埼玉芸術劇場へ。

ここから、舞台の感想です。
とりとめなく書き綴っているので順不同。

かなーりのめりこんだ読書感想文的舞台鑑賞文になってますので、「あらまあ、はいりこんじゃって」って笑って読み飛ばせる方のみ御覧くださると幸いです。

第1幕

冒頭、新次はトラックの運転席の天上に胡坐をかいて登場し、やがて立ち上がって舞台を一巡して袖に消えてゆく。
睥睨。
この言葉通り、世界に君臨しようとする者の欲望を体現する「モノ」「眼光」「存在」。
周囲を圧倒するような存在感だった。

それからどこだっただろうか、記憶は定かではないのだけど、片目と会話した後新次がぶらりと舞台を一巡する場面があった。
吊り下げられたネオンの海の中、舞台奥に歩く新次の背中は、無頼の徒で何のしがらみも持たぬはずなのに、大きくて、物悲しかった。

新次の存在は終始一貫して鮮烈で強烈で、そして“背負って”いた。
何だろう。これは原作を読んだ時にも、ましてや戯曲を読んだ時にも抱かなかったイメージだ。
松本潤の新次は、私の思う新次を超えていた。
自分の想い描く完全 以上の完全が存在することを初めて知った。

バリカンは感情が薄く見えた。
原作や戯曲を読んだ時に感じたバリカン像は、埋没する己の感情の川の出口を探して逃げ惑う者だった。彼は憎しみも愛も手にできないがそれを「知らない」わけではない。
そんなイメージを抱いていたが、小出君の解釈はおそらく違っていたのだろう。
彼のバリカンは、感情を掴みたくて掴めないまま、なすすべなくうずくまる子供のようだった。
本をよく読み知的で知識にすがる姿もそこにはなかった。
だから彼の描くバリカンをなかなか手にすくい取ることができずに戸惑った。

それが解消だれたのはようやく2幕になってからだ。

バリカンには自己憐憫しかない。と、原作・戯曲を読んだ時に思っていて、それは舞台を見ても変わらなかった。
彼の世界にいる他者は床屋の父親と、そして「新次」だけなのだ。
他者を世界に受け入れる余地のないものは、己で存在を認証するしかなく、それはとても不安定だ。
自己認識だけでは客観的な存在証明が得られないから。
だから彼は新次にすがるのだと思った。
新次とのつながりが具象的に目に見えた時に、やっとバリカンの像が結ばれたのだ。


ジャングルジムの上から手を差し伸べる新次。「上がってこいよ」
むろんこれはメタファーだ。
ためらうバリカンに更に彼は手を差し出す。「ほら」
おずおずとその手を握るバリカン。
ぎゅっと握りしめる新次。

遠く東京の空を眺める新次の視線。
東京と、そしてまぼろしを語る新次の呟きは、まさに「詩」だった。
台詞が詩だったのではない。
容子を含めてその空間が「詩」だった。
松本潤の新次は、いみじくもこの舞台を象徴するものとしてそこにあった。と感じた。


シャドーボクシングしながら吐きだす台詞。淀みなく、声が揺れることもなく、滑舌はっきりと張りがあって舞台を貫く。聞き取りやすい。
素晴らしく速いパンチを繰り出しているのにね。
「お前は誰だ!?」とモブから問い詰められた時の不敵な笑い。
その笑いをフッと片頬に刷いて、次の瞬間消し去る。直後に浮かぶ威圧感。
この肉体が俺だ!の叫び(恫喝に近い迫力)には肉の実体が宿る。
形而下の叫び的な。
ずしりと腹に響いた。

自殺研究会の眼鏡もまた新次に刺激され、実体のない死に実体を与えるべく自ら死のうとする。だが彼は宣言しないではいられない。「死ぬぞ!死ぬんだ!」と。阻止させるために。
観念から踏み出そうとして踏み出せないその姿は、彼がいみじくもジャングルジムで語る“現代”の若者、人間、世界の姿に重なる。

誰よりも自信にあふれ、唯我独尊的な生き方を標榜しているように見える新次は、誰よりも多くの人間と関り、そこに変化を齎す。
彼が動きの中心であり起点なのだ。だからこそ彼を主人公に据えたのだろう。

一方のバリカンは、何の変容も齎すことはなく、もちろん自分自身も変化しないまま、もがいてもがいて、出口を新次に見出そうとする。

新次の白いスーツ姿が強烈に目に焼き付いていて離れない。

ジャングルジムでの優しさ、切なさ、胸が締め付けられる郷愁。
そして最後の拳闘シーンの凄まじさ。密度の濃さ。殺陣を考えた方の才能に脱帽。そしてそれを実践した二人の若者に脱帽。その場の役者さんたちに脱帽。
感動だった。

新次は美しかった。確かに息をのむほど全てが美しかった。
一歩間違えば下賤な、俗にまみれた欲望の塊になる可能性のあるチンピラを、松本潤はそこに落とさなかった。蜷川演出もそうはさせなかった。
彼の魂は強烈だったけれど、エネルギーと実体を持って輝いていた。
それだけに、強烈な胸のきしみを伴って。

最後リングに沈んだバリカンの頭をかき抱く新次。愛しそうに、哀しみに耐えかねるように。
そして慟哭。

最後の咆哮はまさに慟哭だった。
表情も絞り出すような悲痛な叫びも凄絶。
あんな演技見たことがない。
突き刺さった。


舞台美術も素晴らしかった。音楽の使い方も効果的で感動的だった。
2幕。
新次とバリカンの戦いの幕開け。
舞台奥から逆光の中、リングがゆっくりと近づいてくる。
徐々に大きくなってゆくそのシルエット。ぞくっとした。誰もいない舞台。荘厳だった。
非常に印象的な演出。美術。

1幕で、肌に粟を生じるかと思われたほどの感動は、まさに舞台美術、音楽と照明が融合する都会の雑踏の場面だった。「蒼茫」その言葉が頭に浮かんだ。
人生に、生きることに疲れ果てた人々が彷徨う、光明のない世界。ネオンがただ溢れるばかり。志向性のない世界。平面を移動するだけのばらばらな塊。

この舞台に高さを与えるのは「死」した娼婦と「生きる」新次だけだ。
新次がよじ登り、バリカンを誘ったジャングルジムに群衆は群がり新次を糾弾し詰問する。それを輝きと力で一蹴する新次の場面については前述したな。

新次の「生」は「性」であり「聖」にも通じるのかもしれないな。とも思ったりね。



とまれ、鮮烈な新次に打ちのめされております。

素晴らしい舞台でした。
素晴らしい新次でした。

肉体はこの舞台では非常に重要な要素でした。

訓練を超えることのできる肉体と精神を兼ね備えてないとこの舞台は成立しなかったと思う。
二人の役者に心から賛辞を贈りたいのと、心からありがとうございますとお礼を言いたい。

いい時間を過ごさせていただきました。

舞台見てよかった。心が震えました。

蜷川演出素晴らしかった。

勝村さんのスパイスは最高の上を行く最高でした。

まだまだ余韻に浸っております。
頭からも心からも耳からも消えません。

松本潤さんの声、演技が素晴らしかった。
無論眼光も表情も本当に。





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Last updated  2013/08/14 11:12:51 PM
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