つってもツイに書きなぐったのをまとめたものです。
やっと自宅に帰りつきました~。東京まで観に行くのは大変。でも心躍る時間が過ごせて幸せです。
とことん自分のペースで自分勝手に呟きます。ああ荒野。毎度のことながらネタばれ上等の呟きです。てへ。感動は生モノなので、いろいろごてごて余計なことを考える前に書き留めておきたい。
1幕。トラックの上の人があまりにオーラを放っていて、小出君に気がつかず。その小出君、めちゃめちゃ上手くなりはった!埼玉でみたときは寺山台詞が浮いている気がして、物語に入り込むのにひっかかったんだけど、青山ではその台詞に心が馴染んで同化していた。だからするっと入り込めた。
これはすごい。と感嘆している横で新次がさらに「ちんぴら」化してはった。うわー(正確にはあちゃー)と思ってたら母親の所語る場面でなんかぐっとくる。このちんぴらの想いの深さ――というかこれまでの人生の切れ端が垣間見える感じなのだ。
バリカンもだが新次も更に台詞が馴染んできていた。だからこそのチンピラ化だったのか。しかしちんぴらであるほど、「新次」の厚みが増すのだな、これが。ジャングルジムで彼が「東京に出て来た時」と口にした時、思わず目が熱くなった。何気ない一言にそれだけの力が宿ってたってことなんだろう。
一人で東京に来た孤独な少年のイメージがそこに浮かびあがったせいかもしれない。彼は彼の送ってきた人生があって――そこに想いを馳せたとき、続く新次の語りは胸に迫るものがあった。
またここの潤さんの台詞回しも声も絶品だったんだ。埼玉のときも詩的に響いたが、それが更に美しく哀しく詩になって響いた。韻律を感じられる、というかね。
そのちょっと前の喫茶店で自殺研究会の面々と話す場面もそうだ。自殺を「究極の弱い者いじめ」だと語る新次の言葉は、韻律を感じさせて美しく響いた。言葉が美しいわけではないのに。声もよかった。
「お前は誰だ!?」「俺は俺だ!」の場面も相変わらず圧巻だったけれど、なんというかバリカンとの試合の悲痛さ、哀しさが際立っていて、最後の叫びが全てかっさらっていった感じだった。あんな辛い、哀しい、そして怒りに満ちた叫び、表情ってない。一気に新次の感情が押し寄せてきて、涙が溢れちった。
埼玉では圧倒されたが泣くことはなかったのだ。今回2回目と言うこともあったのか、新次とバリカンにより感情を沿わせて観ることができた――ような感じ。とりあえず新次が象徴じみた偶像として、じゃなく。一個の人間の厚みと深みをもってそこにいた。
新次もさ。きっと集団就職とかで、テレビでよく見るすし詰めの列車に揺られて東京にやってきたんだろうなとかさ。やさぐれて好き勝手やって、いろいろ傷ついて生きて来たんだろうな、とかさ。こちら側がそういうことを考えられるようになってた。青山の新次は。てかワタシ自身が変化してるのかもね。
よしこが母殺しを告白する場面。「あんたは天国を信じる?何を信じてるの?」と問われて、「何も信じない」とうそぶくしんじ。そのすぐあと、彼は言うのだ。「一度殺されたことのある人間は、もう誰も信じない」と。ここもまた彼のバックボーンをずどんと撃ちこまれた瞬間だった。
(そして実は、ここって芳子に対する優しさの場面でもあるんですよね。彼が「一度殺された」経験があって、同時にそういう経験をした人物の気持ちを斟酌できる人であることが示されてるんですから。でもあえて、彼はべたべたと同情しない。同情は優しさであると同時に、蔑視に通ずるものでもあるから。――だと感じました。だから彼は、バリカンにも同情しない)
ところで19日のマチネではハプニングがいくつかあって。まずホテルでしんじが椅子にかけていた上着を取ったはずみで椅子が下に転げ落ちた。その椅子、次の場面で宮本社長が座る椅子。一瞬止まったあと、彼はそれを拾い上げに戻り、それから思い直したように乱暴に床に放り投げた。
恐ろしく大きな音がして、床に転がる椅子。でも、舞台からは拾い上げられてるので、次の場面では倒れた椅子を社長が起こして普通に座ることができてた。喫茶店の場面では上着が当ってコップが落ちたり(この時はスルー)。
ああそうだ。この公演で自分が演出の白眉と思っているリング登場の場面。青山でも神々しく荘厳で美しかった。男のロマンの結晶という俗な意味もあるのかもだけど、新次とバリカンを思うと泣けてしょうがなかった。
そーだ。試合の最中に新次が叫ぶ詩。そこはもう言葉もないくらい切なく激しく哀しく響いたよ。
二回観てもやはり謎なのはバリカンのとこが優しいのか?ってことだ。新次を始め周囲の人々が「バリカンは優しい奴」と口にするだけで、舞台で繰り広げられる劇の中では彼は何一つ優しいことをしていない。優しい言葉も発していない。「憎むことができない、みんなが好きだ」と口にするのみ。
臆病にならざるをえなかった彼は人間とかかわりを持たないから。不干渉を優しさと言うならバリカンは確かに優しい。(原作のバリカンは思慮深い優しさを持った人物だった記憶があるのですが。)そういえば(←こればっか)
ボクサー三人組さんもよかったです。彼らはバリカンの強さを認めているようで結局バリカンの吃音の辛さを理解することなく、基底にバリカンに対する蔑視を滲ませる。彼ら自身にその意識はなくとも、劣等感にさいなまれる当事者にとってはそう思える言葉を次々に浴びせかけられることになる。そのバリカンの根源的な悲哀を彼らは理解することができない。
新次はジャングルジムでバリカンと同じ言葉を口にする。バリカンが嬉しそうに(本当に嬉しそうに小出バリカンは叫ぶのだ)全部幻だ!と。そして新次も全て幻と叫ぶ。半ば陶酔したように、やけくそのように、挑むように。その対比も面白かった。
多分新次は拳を通してバリカンの孤独を理解し、拳を通して彼を受けとめたってことなんだろうなあ。
それにしても最後のあの振り絞るような声が、怒りの極限の悲しみが入り混じった鬼気迫る表情が忘れられない。あの叫びは聴く者の臓腑を抉るよ。マジで。・・・これだけ抜け出せなくなるくらい。
こっからはツイじゃないんですが。
相変わらず発語が明瞭で聞き取り易く。低い声で喋っていてもよく分かりました。
L列のほぼど真ん中、という大変ラッキーな席でした。
舞台全体を見渡せ、声もよく聞こえましたし動きもよく見えた。
客席を使った動線もすぐ後ろの通路を使うことが多かったので、思わずそちらを見そうになりました(実際観てもいいと思う。そこでも芝居をやっているのだから)が、舞台と背後を交互に見やりながら、この世界に没頭しておりました。
新次は低い声で短く返答することが多いのですが、その口調といいトーンといい、ドキッとするくらい鋭くて素っ気ない。今迄の役柄ではなかったですね。それがいやに男っぽくて素敵でした。
上でもさんざん書き連ねてますが、新次はちんぴらなんだけど「知的」だし「言動に筋が通っている」し、そして何より「他者に自分を押し付けない」人物として表現されていました。お前はお前、俺は俺。
他者を巻き込んだり、反駁したりすることはあってもね。
とにかく境界線のきっかり引かれた「己」を確立してる人物という印象です。
全部をのみ込み引き受ける、ある種あっぱれな感があって、観ていてとても気持ちが良かった。
そしてそれだけに終始しないのが松本マジックでしてね。
彼が優しさを示す時の、その声音と言い表情と言い、温かさがたまらんのです。
包み込むような優しさと懐の深さ、温かさを示すのです。
ジャングルジムの場面はまさにその新次の人間味が凝縮された、夜空に浮かぶ銀河みたいな美しく、やさしく、そしてかなしい場面でしてね。
小出君の演技とも相まって、非常に印象的で感動的でした。
ソワレではこの場面で拍手がわきましたよ。
丁度BGMが高鳴るところでしたから。
松本潤は天井知らずですぜ、きっと。
経験を積ませれば積ませるほど、この人は伸びる。
これ以上はないだろうと思っても更に伸びる。
それを確信した観劇となりました。
と、偉そうに締める。素人ほど偉そうなもんです。はい。