カテゴリ:北タイへ行こう!
4年ぶりチェンマイ訪問記ってことで、久々のマトモな「タイねた」なので10回以上に渡って約1ケ月ひっぱった。
今やワタシにとっての「チェンマイ」という町は、ヨメっこの故郷という以上に思い入れのこもった土地である。これからも何度もここに訪れるだろうし、もしかしたらここに住むことになるかも知れない。 しかしながら、最初にこの地を訪問したときは『こんな町来るんじゃなかった!』と思っていたのだ。 チェンマイに来ようと思った発端は、当時ワタシが勤めていた会社を辞めようと決意したことに始まる。まず辞意を上司に伝えたのだが、「まあまあちょっと待ちいや。休暇でも取って好きなとこでアタマ冷やしてきいや。」と一応ながら慰留されたので(結局そのまま辞めちまったが・・・今と状況が似とるな~)、ちょうど前年に旅した「タイ・バンコク」を再訪しようと思い立った。バンコクが特に気に入ったわけでもなかったのだが、短期間でバタバタした旅で消化不良だったので、リベンジがしたかったのだ。 予定では「9日間」の休暇だったが、バンコク以外にもう1ケ所行ってみようかということで、タイのガイドブックで2番目にページ数が割かれていた「チェンマイ」を選択した。そのときのワタシにとってのチェンマイって、その程度のモン。 ここで「問題」が発生する。 そのときの旅の本命は「バンコク」だから、近所の小さな旅行代理店へは「チェンマイ2泊+バンコク6泊」とバンコク優先の日程で手配依頼していた。ところが、出発日当日、成田エクスプレスの車内で「旅程表」を確認したところ、ナント「チェンマイ4泊+バンコク4泊」となっているではないか!!しかも希望してたのと違うホテルになってるし!! 出発当日まで旅程表を確認しなかったワタシも相当なタコだが、代理店のねーちゃんもヘボすぎる。まあ明るくてかわいらしいねーちゃんだったもので、ワタシも雑談に熱中し過ぎて手配内容をロクに確認せずに申し込んじまったのだ。 そんなわけで、チェンマイ到着時は想定していたバンコクの予定をいくつか減らさなくてはならず、チェンマイで5日間もやること考えてないし、しかも予定していたホテルと違って町はずれのホテルになったので、チェンマイでの行動計画も大幅に練り直し。「折角の休暇が台無し」って思いだった。 降り立ったチェンマイは「タイの京都」というキャッチフレーズから予想したのとはほど遠いショボイ町だし、交通アクセスは悪いし、行儀悪くて汚らしい欧米人はウロチョロしてるしで、2日目には既に「あー早くバンコクに行きてえ~」とウンザリしていた。 トドメは、現地で参加したおキマリの「少数民族の村訪問ツアー」で、同じロットゥーに乗り合わせた行儀悪くてルールを守らない「スペイン人グループ」と乱闘寸前の大喧嘩になり、先方は獣じみたのが5~6人という多勢の上こちらは東洋人の小男ひとり。しかも当方はルールもマナーも守っていて100%非はない。にも関わらず、カレン族の女性ガイドはスペイン側に味方する態度を示した。そこでワタシの不機嫌は頂点に達し、こんな不愉快な町、二度と来るもんかい!と一気に怒りが爆発した。 そんな最悪の気分の中、であったが・・・ 本来なかったはずの「チェンマイ4日目」に、ワタシは現在のヨメっこ「ジェーンさん」と出会い、その後のワタシの人生にとって大きな「転機」となってしまうのである。 人生に「もし」はないが、もし代理店のねーちゃんがワタシの依頼通りに正しく旅程を手配してたら・・・、希望通りのホテルを予約してたら・・・、ワタシが旅程表をもっと早い時期に確認してたら・・・、チェンマイで暇を持て余して散歩に行くとき、右に行こうか左に行こうか迷ったときに右に行ってたら・・・、その後のワタシの人生は今と全然違ってたろう。間違いなくチェンマイは二度と来なかったし、タイ訪問自体もそのときの旅行で終わっていたと思う。そして、恐らくワタシは今も「独身」で、多分今よりはかなりつまらなく退屈な人生を送っていたことだろう。 人生なんて偶然の積み重ねだし、必然として決まっている人生なんて誰にだって有り得ない。だからいちいち偶然を不思議がってるのは馬鹿げたことかも知れないが、そこからワタシの「偶然の賽の目」は常にタイ、そしてチェンマイに転がるようになっていく。不思議の域を超えて、誰かがそう仕向けているとしか考えられないほどだ。それまで海外居住や国際結婚なんて可能性すら考えたことがなかったのに、人生どこでどう転がるかわからんものだ。 さて、これからのワタシの人生はどう転がりますかね? ってか、今までは偶然に身を任せて風の吹くままに流されてきたカンジでしたが、今はフリーエージェントの身。 これからのことは自分で決めるのだったね!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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