カテゴリ:北タイへ行こう!
チェンマイからラムプーン県を抜ける11号線を走っていると、ラムプーン市街を過ぎたあたりで巨大な仏像が聳えているのが見えました。
ラムプーン県が市内に掲示している「観光マップ」にも載っていませんが、なんでしょう? 近づくにつれ、それは仏像でなく「お坊さま」の像であることがわかりました。 こんな巨大なお坊さま像は見たことがありません。 上がってみると、それは北タイで絶大な尊敬を集めているラムプーン県出身の高僧「クルーバー・シーウィチャイ」(1878~1938)のモニュメントであることがわかりました。 写真ではわかりづらいですが、すごい大きさです!! おアゴのあたりの黒っぽい部分は「蜂の巣」でした。これまたでっかい(汗) 失礼ながらお尻の方に回ると、空が隠れてしまうほどの迫力です。 タイでは店や家の中に「国王陛下」の肖像写真が飾られているのはご存知のことですが、現在のラーマ9世・プミポーン国王陛下だけでなく、ラーマ5世の肖像も人気です。そして、北タイではそれらに次いで「クルーバー・シーウィチャイ」の肖像写真を頻繁に見ることができます。 チェンマイの名刹「ワット・プラタート・ドイステープ」に向かう山道の麓に、「クルーバー・シーウィチャイの祠」がありますが、昼夜問わず参拝客でいつも大変な賑わいです。 ワタシもチェンマイに来る度にこちらに連れて来られ、今回の移住に際しても「真っ先に」ここに参拝させられました。 よく「ドイステープの参道を整備した高僧」として紹介されますが、シーウィチャイ僧の偉大な生涯はそんな生易しい表現では収まりません。 当時の政府予算を持ってしても「3年かかっても不可能」とされていた山道の建設を、高僧を慕う庶民の「喜捨」と「無報酬の労働」だけで「わずか半年足らず」で完成させたということですから、いかに高僧の徳がひとびとを惹きつけていたかがわかります。 100年前までの北タイは、まだビルマ占領時代の荒廃から脱しておらず、悲惨な状況だったといいますが、それをシーウィチャイ僧が生涯をかけて荒れ果てた寺院の復興に尽力したそうです。 チェンマイ旧市街の名刹「ワット・プラシン」もそのひとつで、お寺の正面にはシーウィチャイ僧の像が飾られています。 その信仰の源泉は、過激なまでにお釈迦さまの教義を忠実に実践したということのみで、天文学的な数字と思われる喜捨を集めながら、ご自身は完全な「清貧」を貫いたそうです。 余りにも絶大な信仰を集めたために、当時の中央権力、特に仏教界からは危険視され、大変な迫害を受けました。しかし、逆にそれがさらに多くの信者を呼ぶことになったようです。 まだ情報化が進んでいない時代であったにも関わらず、遠くバンコクにまで高名は轟いていたとのこと。 現在においてもタイ政府系の観光資料でも、シーウィチャイ僧ゆかりの地についてはほとんど触れられておらず、「タブー視」されているのかも知れません。 チェンマイ郊外の山間部でも、シーウィチャイ僧と同じように「清貧」を貫く高僧は現在でも何人かいらっしゃいますが、毎週のように全国から喜捨に訪れるひとびとがひっきりなしの人気だそうですが、流通している情報はほぼ皆無です。 お釈迦様の教義に忠実な模範的な宗教行為が、仏教界では逆に「異端」とされてしまうのだとすると、皮肉な話ですね。 にほんブログ村 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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