テーマ:ブログ20年!(86)
カテゴリ:地域参加的生活行為
人はずっとひとところ(一所)に居て平和に暮らしていると そしてそれが、長期になると、本人も周りも生き続けるという結果、 老いるわけだ。 老いると、日常のルーティンに関しては次第次第に、行動が絞られてくるから、 あるとき不意に、「これはどうなっているのですか?」などと聞かれるとする。 すると、、「えーっとお・・・???」と、即座の反応はこうなる。 よほど、その事を毎日ちゃんと意識して考えていないと、 なんでも、すぐに適切な答え、ってのが口からでない。当り前である。 こないだ、、自治会の集会で、 ある土地について、それは、あたしが住む集落の入り口にある看板が立っている 小さな花壇スペースなんだが、 ある人が、もっと綺麗にちゃんとして欲しい。と言われていた事で、 判明したことであるのだが、、 個人の土地を、何とか協議会が借りているというのである。 意見を言った方が、いわば地主、というわけ。 昔、口約束で、それが、、つまり貸し借り関係がスタートしているらしい。 街から移住してきたあたしは、 契約書はあるのか、と聞いてしまった。というわけ。 紆余曲折があり、半年後、結局ようやく、当事者の会合が持たれた。 それが、昨日だった。 そもそも、いつから、貸借の関係になったか、、から、 ほじくり出す。 もう、数えている間に、聞いた方もちょっと待って、西暦で言うと、二千〇〇年、 平成〇年は、、という会話になってしまい、、アタマがホッピング。 記録がない、、とはこう言う事だ。 それほど、緊密な人間関係があって、事が運んできているということだ。。 ある意味、良い事なのだが。。 (次の世代に、その事実を引き渡すのだ、、という役割が、いよいよ目前になって来てから、なんでも、こうやって動き出すのだろう。あれこれ考えた結果、その関係は25年以上前のことと判明した!) 集落の「終活」の一端だ。 同質性の高い集団では、言わずもがな、が通用するので、 こういう、手間がいざという時に生じる。 不用意に、貸借関係の書類はありますか?と半年前に言ってしまったのは あたしである。都会では、通常口約束で、土地の貸し借りをするのは、 肉親ならともかく、他人さんならあり得ない。 (もちろん、肉親でも紙は必要なんだが) その、「普通」が、こちらでは通用していない、ということだ。 ために、仕切り直しの必要性が生じ、 関係者が集まり、会合、という運びになる。 で結局、書記のような役目をすることになり、 この日の日付けのおぼえがき(覚書)を作成。配布。 話し合いが、(今後その花壇をどうしていくか)ここから始まる。 その場をお借りして、ついでに、 人権学習会の日程を決めていただく。 とかく、腰が引けて、いろいろやりたくない方も中におられる。 どっちでも、という方もおられる。 最低限これだけは!の線がそれぞれ違う。これが、 多様性、と言わずして何だろうか。(これこそが多様性なんだなあ・・ふう!) こう決めたから、俺についてこい!は通らない。 (今まで通って来たからこれからも、、というわけにはもう、行かない局面なんだと思う) 特定の方を非難するわけではなく、わっさわっさと抱えながらの前進である。 もう一つ、あたしは、、里づくり協議会の会計を担当していることが 判明した!えーっ!これもやるんですか??などと。。 いいですよ。というか、、(先月の引継ぎの時には意識してなかった。) 毒を食らわば皿までじゃ! ギリギリと、、やることが近くに来ているが、、なんとかこなしたい。 まずは、 プールに行って、歩いて来よう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月20日 05時55分24秒
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