[時間どうろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた 女の子のふしぎな物語]
という副題がついている。
以前‘はてしない物語’を紹介したが、‘モモ’もまた同じミヒャエル・エンデによる傑作である。
児童小説というが、‘はてしない物語’と同様、大人でも十分楽しめる作品だ。
いや、むしろ大人だからこそ、読んでほしい。
‘モモ’では自分の自由な時間を失い、常に仕事に追い立てられ、
人間らしさを無くしていく現代人の姿が描かれているからだ。
モ モ
大きな都会のはずれに円形劇場の廃墟があり、そこに1人の女の子が住みついた。
背は低くやせっぽちで、8つくらいにも12くらいにも見える奇妙な女の子だ。
くしゃくしゃにもつれた真っ暗な巻き毛に、大きな真っ黒の目、
スカートは継ぎはぎだらけでかかとまで届くほど長く、上着はだぶだぶの男物で、
とても清潔とは言えなかった。
その子の名は、モモ。
この浮浪児の出現に最初近所の人たちは訝るが、すぐにモモの人柄のよさに惹かれ、
大人もこどももモモの周りに集まってくるようになる。
彼女には不思議な力がある。それは、人の話を聞くことだ。
聞くと一言で言っても、本当に話を聞くことだ。
それはそれは真剣に注意深く、大きな黒い目でじっと見つめ、一言も口を挟まず、
黙って人の話に耳を傾けるのだ。
すると、誰も彼も、モモに話を聞いてもらっているうちに、なぜか良い考えや解決策などが、
すうっと頭の中に自ずと浮かんできて、かたくなな心も解けていくのだった。
だから誰からもモモは愛され、いつも周りには、子どもや大人の笑い声が絶えなかった。
しかし「時間」を人間に倹約するよう勧める、時間貯蓄銀行から来たと名乗る、
怪しげな灰色の男たちが現れた時から、人々の心が蝕まれ始める。
灰色の男たちは、街の人々をそそのかし、時間を奪っていくのだ。
それにより、人々は、以前よりお金を稼ぎ、いい身なりができるようになるが、
豊かな時を過ごすことが無くなり、怒りっぽくて不機嫌でくたびれきった人間に変容していく。
それは子どもたちの生活にも及び、みな忙しく、モモのところに遊びにくることも無くなった。
しかし、モモだけは、灰色の男たちのペテンに屈することなく、
何とか多くの友達をもとの姿に戻そうと努力する。
少しも動じないモモを灰色の男たちは危険視し、モモを捕まえようとする・・・
灰色の男たちの本当の目的は、何なのか?
モモは、果たして灰色の男たちの陰謀から、人々を救う事ができるのか?!
モモが辿り着く時間の国で見た、時間の花の描写は実に美しく、
感動のあまり涙が溢れるほどだ。
‘モモ’は‘はてしない物語’と甲乙つけがたいほど、魂に響く素晴らしい1冊である。