バックの方々のおかげ
ようこそ、お越し下さいました。約1メートル以上の地盤沈下で、満潮時には港に行く道路や船着き場が冠水するという事は、先日伝えました。瓦礫を道路わきに寄せていても、夜中の満潮で瓦礫の木材が海水に浮いてプクプクと移動して道路に出てくる。そうすると、車の通行にも支障をきたします。もう、いろいろな方が瓦礫に刺さっている釘でタイヤがパンクしたことか。だから、船の時間に間に合うように片づけます。それが又、夜のうちに打ち寄せられて・・・・・と、いたちごっこでした。やはり、ここでも行政の立ち遅れを目にします。市は手が回らないのでしょうね。ここでも、島民有志で片付けました。幸いに、この日は都会からボランティアの若者7名が助っ人に来てくれまして、瓦礫の撤去に手を貸してくださいました。大変有難い存在です。ほとんどが手作業で行われています。ボランティアの7名も頑張ってくれました。瓦礫のほとんどが本土から流れ着いた家の一部。私個人は、もう瓦礫の撤去作業は1週間くらい前からやっていましたが、凄く、面白いことがあったので書きますね。私のボートは、津波に流されて、係留していた場所からずっと離れた海水浴場に流れ着いていました。しかも、ひっくり返し状態で。エンジンは海水に呑まれていますので、没。でも、船体はほとんど無傷。(島のその他の船は、結構損傷が大きいというのにね。)そして、片づけ始めてから数日後、私の船の船舶検査表やらが入った書類入れが、瓦礫の山の中から出てきました。なんと、あの途方もない瓦礫の山からですよ。赤と白のストライプの100均で買った書類入れだから、よく目立ったのかな。中身は船舶検査表と船検手帳、漁船登録証などです。(以前に船舶検査表を再交付してもらった時、15000円位かかったかな)それをジップ付ポリ袋に2重に入れているから、きっと海底に沈んでいるか砂に埋まったか。とても、信じられませんでした。まだあるんですよ。私の船は、津波の時は岸壁にロープで係留していて、船を岡に上架する船台は少し離れたところに置いてあったのが、船の傍の瓦礫の中から一部をのぞかせて発見されたのです。更には、船にいつもおいてあるボートフック(鉤)が、その傍らの瓦礫の中から出てきました。最近のブログ記事で、「守られている」という内容に記事を書いていますが、この事も、そうなんですかね。それぞれの人には、守護して下さる存在が複数いるとされています。ハイヤーセルフを筆頭にね。宇宙の流れから外れないように、いつも見守って下さっています。でも、個人の選択の自由は最大限尊重するのがこれまた宇宙の真理。だから、見守るけど余計な口出しはしません。でも、ここには例外というか特例というか、そういう流れも存在しています。それは、統合意識に目覚めその生き方を選択した魂さんには応援エネルギーがたくさん流れるようです。そうすると、いわゆる「うまくいく」ことが増えてきます。人間レベルの「好都合」とは意味が違いますがね。まあ、船の一件はともかくとして、どんな状況に身を置いても、「ああ、生かされている」と実感できる生を全うできるという事です。被災被災と言われているけど、今のままでも充分幸せです。毎日が楽しくて、ドキドキの日々。私の人生って、こんな事の連続かな。とっても、刺激的な人生です(笑)