自殺問題
最近、新聞やニュースで「自殺」という見出しを見ない日は無い。あるキャスターが言っていた。「自殺の連鎖現象」事件の内容によっては「類似事件」とも言われるが・・・。これは今回に始まったことじゃない。比較的「よくあること」だと思う。本来は「よくあってはいけない」のだが、悲しいことに「連鎖現象」は無くならない。少し前には「集団自殺」という連鎖現象があった。幼い子供の「誘拐殺人」も続いた。ニュースになればなるほど、世間の目や関心が寄せられるほど、連鎖の輪が広がっている気がする。そして、今回はいじめによる「自殺」から、連鎖の輪が広がっている。内容はどうあれ、「連鎖」の影にはメディアの報道や取材も深く関わっていると思う。「自殺」というキーワードから、それに見合う情報(類似事件)を打ち出してくるからだ。●いじめによる自殺が他にもあった●パワハラによる自殺●社会的ストレスによる自殺こんな見出しを見たことがあるのではないだろうか?原因はそれぞれだが、共通するのは「自殺」というキーワード。検索結果、また次の「類似事件」がまた水面上に現れることになるのだ。「自殺」に至るには、人それぞれ並々ならぬ事情や環境があったとは思う。だが、それが「良いこと」だとは決して思わない。でも、何らかの「逃げ道」はあってもいいと思うし、必要だと思う。だだ、それが「死」ではないように願うのみ・・・。 自殺のコスト \1,260学生によるいじめが発生する現場「学校」というモノは、ある意味とても特別な環境。特殊な「世界」といってもいい。大人には分からない、計り知れない「恐怖」がそこにはある。道徳の精神なんて、あってないようなところも多々ある。その一つが「いじめ」。同年代の人間が、日々一箇所に集まるわけだから、おのずと性格による「区分け」が出来てくる。A:いじめる人間B:いじめられる人間C:いじめられているのを面白半分にからかう人間D:二の舞になるのが怖いから、不本意でもいじめに便乗する人間E:我関せずのマイペースな人間・・・など。いじめの精神的「被害」は、Aのみならず、CとDの人数にも大きく左右される。C・DがAの取り巻き程度なら、特定の人間を避けることで、ある程度の逃げ道は出来る。だが、C・Dがグループ化(部・クラス全体、もしくは学年全体化)すると、逃げ道は限りなく0に近くなり、精神的に追い込まれる。また高校と違い、義務教育である小中は、環境そのものから逃れられず、更なる追い討ちをくらうことになる。子供だと思って甘く見ていると大間違い。子供には子供なりの「世界」と「権力」があるのだ。そしてその「世界」における「権力」には、文字通りチカラがある。大人の世界とは異質のチカラ。それこそ人を死に追いやるほどのチカラが・・・。私も小中時代にいじめ・・・まではいかないが、身体的コンプレックスをからかわれた経験があるから、誰にも相談出来ない不安感や疎外感、劣等感、孤独感は多少分かる。理不尽だと大いに感じることだろう。怒りもこみ上げてくる。たが、何も出来ない自分に一番腹が立つ。傷心。エンドレス。だが私の場合、高校進学時にターニングポイントがあったのが幸いしたかもしれない。進学した高校が自宅から少し遠方だった為か、同じ中学からの同級生が一人も居なかったことだ。ある意味「特殊なケース」かもしれないが、今でも同級生が居なくて良かったと思う。知人が一人もいないという不安はあったが、逆に「誰も過去の私を知らない」という状況の方が気楽になれた。素の自分で生活できたからね。そのおかげで、一生付き合える良い友達にもめぐり合えたし。その後、小学校での成人式でかつての「いじめっ子」と再会はしたものの、苦い思い出がよみがえるだけで、特に問題はなかった。・・・が、今でも小中時代はあまり良い思い出が無くて嫌い。そういう気持ちだけはしっかり残っちゃった・・・。普段は感じなくても、やっぱり心の傷って深いよね。これだけいろいろな「いじめ問題」がクローズアップされている今、義務教育の環境だからこその対応が必要になってくると思う。例えば、学校を変えるだけでも、それなりに精神的変化が出ると思う。(経験上の意見)それぞれの家庭の事情もあるだろうし、学校環境の違いも土地土地で異なるだろうが、地域を越えた「逃げ道」を子供の立場から選択できるように考慮してあげる対策があってもいいんじゃないかな。人生そのものから逃げる「死」より、一時的にでも悪環境から逃げる「避難」の方が、逃げる本人の生き方を考えて立て直す上でも重要なんじゃないかと思う。教育委員会のせいだの、学校・教員のせいだのとゴチャゴチャ言ってるのはバカらしい。大人の世界から見た「学校」と、子供の世界から見た「学校」では確実に見えているものが違う。それは保護者とて同じこと。大人同士の責任転嫁の末、中途半端な状態が長引くのは安易に想像できる。そんな無駄な時間を費やすより、現場の声である子供たちの意見や気持ちを、まずは「聞くこと」から始めてはどうなのだろうか?「郷に入っては郷に従え」ではないが、実際に近くで現実を見ている(見ていた)のは生徒たちだ。だったら、彼等からの意見を第一に尊重すべきなのでは?どうしたらいい?どうして欲しい?上から見下ろす視線ではなく、同じ目線でモノを見て対策を考えなければ、また歯車をかけ違うことになる。大人に出来て子供に出来ないこと、それは社会的・制度的にサポートしてあげるということ。特に、精神的サポートになりうることが大事。だって、「死」を選んだ人たちは、「守ってもらえなかった」人たちなのだから・・・。【追記】学費の面から公立に進学したにも関わらず、自宅からバスや地下鉄を乗り継いでの通学だったため、授業料より高くなった(!?)かもしれない通学定期代。今だからこそ感じるが、それを高いと文句も言わずに3年間通わせてくれた私の両親には感謝したいと思います。当時、「定期代が高いから、近くの高校にしなさい」と、もし言われていたら・・・今の「私」はないかも知れませんね。ありがとう!