今日拝見したブログの「親孝行」と言う文字が胸に痛かった
ベルモットとクレーム・ド・バイオレット40数年もの勿論私が生まれるかなり前のものですよ飲めるかどうかはさておき、亡くなった父の物…ワインやビートルズ初回プレス版レコード、ライカのカメラ、(タンノイのスピーカーはガレージの奥の納戸が手狭と言う理由で捨てられた…)武勇伝武勇伝母がガッツリ(快く)よく解らずに親戚や皆さんにあげちゃった武勇伝武勇伝「古いものでも喜んで下さるのならお持ち下さい」って。そうです、母はわかっていなかったから仕方が無いのです。私が帰省した際にはもう既に皆さんの興味の無いものしか残っていなかったのです。捨てられる寸前のベルモット…ずっと昔まだ古い家の時父の趣味の小さなホームバーにずらっと並んだ中に鎮座ましましていて、他にはシェーカー、デキャンター、グリーンやブルーの色とりどりのリキュールやセクシーな女性の上半身のボトルに入ったお酒、ガラスのエッフェル塔の瓶に入ったお酒。ポートやマデイラ、スコッチやブランデー、ワインもあったっけ。他にも色々あれらは何だったのだろう(??)レモンチェッロは牛乳にたらすとおいしくて、コアントローは小学校6年生にして初のバレンタインデー手作りお菓子に失敬したっけ家を建て直してからダンボールの中で納戸に積まれていたのですって。お陰でラムやジンをストレートで飲み、「国稀の仕込み水由来のミネラル感が堪らない」とか「マティーニはスモーキーマティーニが好き!モルトはラフロイグでね」みたいな新成人になり男の子からドン引きされたのは言うまでも無い。社会人になってからもいける口だということで上司にグランヴァンを沢山あけてもらったっけその当時のワインの詳細何たるかを知りたくて今更ながら有資格者になってみたのが数年前。でも、ラム、モルト、ジン…お酒を沢山覚えていった本当の理由は父と一緒に飲みたかったから。なんだけどな…休みの日はいつも一日中片手にパイプを握ってあまーい香りを燻らせていて、嬉しそうにビロードの袋に入ったパイプやキューバの葉巻を見せてくれた。パイプ掃除の長ーいモールでチューリップ作ってよく叱られたりチョコレートも大好物だった。でも、狭心症の治療薬の副作用から結局喘息になって、好きなパイプも葉巻も出来なくなっちゃった。親孝行!何も出来なかったけど大好きだったなぁ、お父さん