Practice in Japanese writing4: New York, November.
水島先生 小春日和の日曜日です。朝は、向かいのアパートのレンガの壁を、千切れ雲のくっきりとした影が頻りに、斜めに滑り降りていきましたが、今はそれも止まって、小さな四角いニューヨークの空は、ただ青いばかりです。 ニューヨークは貧しさを無視することのできない街です。もちろん、アメリカの他の町にも、貧しい人達は住んでいましたが、手入れの行き届いた芝生の広がる郊外の住宅地から、ガラス張りのオフィスへ車で通う私たちには、貧しい人達は目に見えない存在だったのです。AtlantaのProjectsも、Erieの製紙工場の近所も、CincinnatiのVine Streetも、私たちからは隔離された世界でした。Dallasでは貧しい人達はいったいどこに住んでいたのだろうと今、振り返って思います。人気の無い夜中のオフィスを、明るくスペイン語を話しながら掃除してくれた人達は、どこから来て、どこへ帰っていったのだろうかと。 ニューヨークでも、貧と富は別々の住所を持っています。でも、ニューヨークには貧と富が出会う場所も数あります。五番街の豪邸の陰にも、自信に満ち溢れたUpper East Sideの歩道の際にも、尖塔のそびえる尊厳な教会の表玄関にも、紅葉の美しい公園のベンチにも、忙しく人々の行き交う地下鉄構内の片隅にも、絶望の臭いのするぼろの小山、貧しさがうずくまっています。靄のかかった日曜の早朝、ゴシック建築の教会の裏門で、無料の朝食を待って、二十人ほどのHomelessが無言で列を作っているのに行き合わせたことがあります。その音も動きも無いシルエットが印象的でした。満員の地下鉄にぼろを着た子供が五人ほど、小さな太鼓を手に手に乗り込んできて、BeatlesのHelp!を歌ったのにも会いました。“Help, I need some body. Help, not just anybody. Help, you know I need someone, help.” 歌が終わると、子供たちは小さなビニール袋の口を広げて、乗客一人一人の前に立ち止まるのです。六歳ぐらいの小さなか細い男の子がグループ一番の稼ぎ手のようでした。 アメリカ人は概して寛大な国民です。Charityとpublic servicesが日常生活に浸透しているのを感じます。インドネシアの津波、Hurricanes Katrina, Rita, Wilma、救世軍、赤十字、そして、地元のsoup kitchens, 個人からも、会社からも、募金が集まります。Hurricane Katrinaで家を失った人達に、自分たちの家を提供した家族もあります。教会がステンドグラスに飾られた美しいHallsをhomeless sheltersや soup kitchensとして開放することも珍しいことではありません。会社や学校も奉仕活動に参加します。例えば、ミシガン大学のロースクールの新入生のオリエンテーションは、volunteer活動で始まります。デトロイト近郊の低所得者のための手ごろな値段の住宅を建てる準備に、荒れ果てた家を壊し、廃材を処分し、邪魔な木を切り払って新地(さらち)を作るのです。アメリカのlaw firmsは恵まれない人達のために無料のサービスをします。低所得者の借金の条件を交渉し直したり、家主との揉め事を仲裁したり、事業を起こすのを助けたりという地味な仕事もします。(死刑囚の弁護をしたり、Guantanamo Bayで拘束されている人達を代表するといった、注目を集める仕事をする人達もたくさんいますが。)アメリカ人は貧しい人達に無関心ではありません。「私たちは恵まれているのだから、社会奉仕の義務がある」と自分の時間を割き、お金を出し、労を尽くす人も多いのです。“I want to make a difference.”アメリカ人がよく口にするフレーズです。 パイプオルガンが神々しく響き、天使の声を思わせるラテン語の聖歌が高いchoir loftから降り注ぎ、昼のミサが終わりました。バロックの白い石造りの教会は秋の光の中で輝きます。その明るさの中に一人の乞食が立って物乞いをしていました。その前を素通りすることの悲しさ。私の募金も、私の始めたpro bonoの仕事も、今、この人の空腹を満たすわけではないのです。目の前に存在する不幸。Charity とかsocial responsibilityなど時々考えてみます。I too want to make a difference, but how? ましほ (ノート)ましほさんの文章を読んでいると、いつも澄み渡った、そしてどこまでも高い秋空のような遥かな気持になります。それは、あなたの心がまさにそのように澄明なのだからだと思っています。「貧富」の問題を、このようにとらえる視点、これはとても稀有なものです。イデオロギーの誘いやまたルサンチマンを根拠にすることから、これほどまで離れることができるということ、それらがあなたの文章の眼と心になっているのです。ごめんなさい、苛烈な競争にさらされているニューヨークの弁護士に向って、こんなことを書いて。ビートルズを唄って物乞いをするその少年の姿勢は決してうつむいてはいなかったでしょう。当然の報酬のように求めることができる精神、それをこの日本で見たことはありません。豊かさも一皮向けば金亡者の成功譚に行き着く国では、人を蹴落とすことしか考えることができないからです。ここではvolunteer活動などをソノアヤコなどという有名人が推奨し、それを教育の活動の中に「奉仕」というタイトルで「強制的」にとり入れようとしている。教育委員会の命令のもとに、東京都では来年あたりから実現しそうです。これがどういう結果をもたらすかは火を見るより明らかです。「社会」のすべてのマイナスを教育現場に託送すれば何とかなるという幻想ほど無責任なものはないでしょう。いろいろ書きすぎました。あなたのNew York便りに触れるたびに、ぼくは深い秋の空を見るような気がして、そこで大きく息をつけるのです。New Yorkの冬も厳しいでしょうが、風邪など引かぬよう気をつけて、毎日を過ごしてください。次回のお便り心待ちにしています。 水島英己