タグ付け終わり
10代の頃、新聞で信田さよ子さんの記事を読み「アダルトチルドレン」という言葉を知り、図書館で本を借りて読んでみたら自分が該当すると思った。でもその時は多分まだそんなに切羽詰っていなくて、それよりも子宮内膜症の方が問題だった。病気に関しても今思えば両親は毒親らしい発言をしていた。やっぱあの人達は毒親だwww10代20代は痛みに耐えることで終わって、30代になっていよいよAC問題と向き合う必要が出て来た。一週間、体が動かなくなって寝込んだのをきっかけに精神科に行ったら鬱病と診断された。薬は全く効かなかった。その後も耐え切れなくなると心療内科へ行ったけど、やっぱり抗鬱薬は効かなかったことから、もしかしたら鬱病ではないのかもしれないと思った。今振り返ると、31歳の時に体が全く動かなくなったのは、一人暮らしをしている罪悪感、母親への負い目が原因だったと思う。ACのそもそもの発端である「アルコール依存症の親の元で育った子供」という点から、うちの問題は父親だと思っていたけど、父親と母親は共依存関係にあるし、母親と私の関係もずいぶんおかしかった。30代後半は母親と私の関係もどんどん悪化していった。ちなみに兄は私が10代の頃、父親と喧嘩して出て行った。私と兄はほぼ他人のように(同じ家に住んでる他人)過ごしてきた。(今思えば、うちには「家族」っぽさが全く無く、4人の他人が仕方なく同居している感じだった。衣食住は面倒見てもらったからネグレクトではないけど。まぁ「家族っぽいって何?」と聞かれてもよくわからないけど。そういえば少なくとも私が生まれてから、兄と父親も一緒に遊ぶとか楽しそうな場面は見たことがない。私も兄も、親と遊んだり何かを楽しんだことはないと思う。私と兄が二人で一緒に何かをしたことはない。兄に殺されると思ったことはある。)40代になって発達障害を疑ったり、愛着障害や気分変調性障害が該当すると思ったけど、医師の診断は受けてない。最近知ったHSPというのもすごく当てはまる気がしている。ここ5年ぐらいはネットをうろうろすることによって知らなかった言葉に出会い、自分にタグ付けばかりしていた。発達障害自閉症スペクトラム愛着障害気分変調性障害HSPもうタグ付けはいいや。自分の生きづらさの理由を知ることは必要だったけど、これからは改善・回復・解決にエネルギーを使いたい。「楽しむことを自分に許可できない」というのが親からの呪いだと思えたことは、最近の進歩だと思っている。ちょっとだけ子供の頃の自分がかわいそうという目線も持てるようになった気がする。毒親育ちでない人からは「親に育ててもらったくせに被害者ヅラするな」「いい年して親が親が言うな」「子供の頃の自分がかわいそうとか、どんだけ自分大好きなんだwww」と言われると思う。でも外食することにものすごい罪悪感がある、混んだスーパーの中などでうっかり人の前を横切ってしまったことで死にたくなるぐらい罪悪感に襲われる、プリンター指定を間違えて裏紙じゃなく白い紙を1枚使っちゃって死にたくなる、自分ごときが病院に行くなんてものすごい贅沢だと思うのも自分大好きなのかな?他人の外食費、娯楽費、旅行や外出頻度に驚く。