つくしと幸せなコミュニケーション
今日は温かかったですね。火曜日は私のオフィスの定休日なので、久し振りに夫と散歩に出ました。夫は、「つくし(土筆)」が出ているかもしれないと、つくしを入れるためのレジ袋を手にしていました。私の家族はつくしやわらびなどの山菜が大好きなのです。私達が住んでいる団地の土手には毎年3月の始め頃には「つくし」が出るのですが、今年の冬は寒かったので、未だ早いかな、と思いながらも枯れ草と若葉が混ざり合った土手を見ながら歩きました。ありました!でも最初はちらほらと細くて短いつくししか見当たらなかったので、「やっぱり今年は遅いんだね。」等と話しながら歩いていくうちに、今度は長いつくし達が群生している場所が目に入りました。「あー、あるね。昨日の雨で伸びたんだ!」と今度はさっきとは全く違う感想を述べながら、夢中になって採りました。その内少し先の方で、急な土手に足を掛けながらやはり土筆採りをしている私達より少しお年を召した男性の姿が目に入りました。広島の三原では、春になるとみんなこぞってつくしや山菜取りに出かけたものでしたが、千葉県に引っ越してきてからは、私達以外につくし採りをしている人を見かけたのは初めてでした。今までは私達が採っているのを見て「何をしているんですか?」と問い、つくしを料理する為に採っている事を伝えると「え?食べられるんですか?」などと驚かれたものでした。なので、同じ様につくし採りをしている方を見かけて、何となく三原を思い出して親しみを覚えながらお互いに挨拶の声を掛け合いました。夫とも「初めてつくしを採っている人に出会ったね。」と話しながらも、目は土手の坂の草々を透かしてターゲットを探す事に余念がありません。また少し行くと、犬の散歩をさせている女性と出会いました。彼女は、私達がつくしを探しているのを知るとご自分も少しばかり採って数本を手にしていました。それでは料理するほどの量にならないと思い「もう少し差し上げましょうか?料理なさいますか?」と聞いてみましたら「いえ、出来ないから・・・。」と言って手にした数本のつくしを逆に私に渡してくれました。「(料理は)出来ないけど、採るのは楽しいんですよね。」「そうですね、楽しいですよね。」と声を交わしていると夫の知り合いの別の男性も現れ、やはり数本採って私達に渡してくれました。お二人とも、さりげなく、私達のつくし採りの手伝いをして下さったのでした。きっと、春を告げる草である「つくし」の温かさが、みんなの気持ちを温かくしてくれ、そんなさりげない親切も楽しませてくれたのでしょうね。やはり,自然は人の心を和ませて、自然な親切という最高のコミュニケーションをやり易くしてくれるのでしょうか。夕食では、夫が料理してくれた春の菜の「つくし」をたっぷり楽しんだことでした。うーん、しあわせ。