新聞記者の日常と憂鬱87
▼あわや事故!マイカー取材は禁止されていたが、私はしょっちゅう車で取材をして回っていた。しかし危ない場面もあった。一回目は吹雪の日のスーパー農道。取材の帰り道、時速30キロほどでギアをサードに入れて走っていた。何の障害物のない一本道のように見えたので30キロぐらいでも大丈夫だろうと思ったのだ。雪道の運転もかなり慣れたころだった。「多分大丈夫だろう」これが慢心であった。最初は白い道が永延と続いているように見えた。吹雪で視界は悪かったが、こんなところに障害物はあるはずがないとも思っていた。やがて不意に雪の塊が視界に入ったように思えた。何だろうと思いながらそのまま近づいていくと、その塊の正体がわかった。雪にすっぽり覆われた車であったのだ。駐車しているうちに雪が積もり、車が保護色の雷鳥のように姿を隠していたのだ。悪いことに、その姿を隠した車は、道の半分を完全にふさいでいた。「まずい」とばかりにハンドルを右に切った。衝突は避けられたものの、右に振れた車体を戻そうとつい左にハンドルを切る。右に振れたときは右にハンドルを切るのだと言葉ではわかっていても、人間はつい反対方向にハンドルを切るものだ。車体は、今度は左に振れる。また焦って、右にハンドルを切る。完全に蛇行運転となり制御が利かなくなった私の車は、右側の低い雪の壁を乗り越え、田んぼの斜面に頭を突っ込んで止まった。幸い怪我はまったくなかった。それでも外は猛吹雪。車はまったく動かない。まるで遭難したような気分だ。近くの民家に助けを求めたところ、ワイヤーを結んで車で引っ張って引き上げてくれた。もう一回は、夜中のまったく交通量のない山道。季節は夏だった。最初は舗装された道路だったので安心していたが、登るに連れて道が狭まり、とうとう舗装道路が泥道になった。まだまだ登れるだろうと思って猛進したところ、タイヤが泥で滑り側溝に脱輪してしまった。側溝からどうにかして自力で抜け出そうと20分ぐらい奮闘したが、抜け出せない。近くには民家すらない。かといって一人では脱出は無理だ。辺りは外灯もない真っ暗闇。月の光だけが頼りであるという有様だ。思案に暮れた果てに、ふもとの民家まで助けを求めに行くことにした。山奥での夜道の一人歩き。林の中から今にもお化けが出てきそうであった。ふもとまでどれだけ歩かなければならないのだろうか。歩き続けること30分。ようやく人里の気配がしてきた。と思って、回りを見渡すと、そこは墓地であった。夏は怪談。夜中の山の中の墓地というのも乙なものである。と言いつつも、足は自然と早くなる。さらに10分ほど歩いて、ようやく民家にたどり着いた。民家の人に事情を説明したら、車を出してくれて、側溝から私の車を出すのを手伝ってくれた。後日、助けてくれた民家にお礼に行ったことは、言うまでもない。ありがとう。今日私があるのも、あなた方のおかげです。