痛恨のミス! 幻となった独走トライ
大事な準々決勝の試合で、私は痛恨のミスをします。 本郷高校は下馬評通り強く、試合は一進一退を繰り返しながらも本郷高校の優位に進んでいきました。 しかし後半、思いがけなく大チャンスが到来します。 私がハーフウェイライン付近でタイミングよくボールを受け取ると、初速で対面を抜き去りライン際ギリギリを抜け出すことができたんですね。 とにかく思いっきりラインに沿って快足を飛ばしました。 私は当時、100メートル走の後半を普通の運動靴でも5秒4で走っていましたから、加速がついた以上、高校生のレベルで私に追いつくことはまずできません。相手も味方も完全に「置いてけ堀」になってしまいます。 ところが、前方の相手のフルバックだけは、必死で私を止めようとライン際を走る私に向かって突進してきます。あとゴールラインから5メートルくらいになったところで、私は決断を迫られます。 このまま飛び込むか、右に舵を切るか。 私はそのまま飛び込んでも大丈夫だと思い、インゴールに向かって思いっきり飛び込みます。 インゴールにボールを設置させてトライ! ・・・と、自分では確信していましたが、ジャッジはタッチラインを割ったと判定しました。 私は訳がわかりません。「確実にボールをインゴールに置いたのになぜ?」と、狐につままれた気分です。同時に私はグラウンドにしたたかに激突した衝撃で軽い脳震盪を起こしてしまい、しばらく立ち上がれませんでした。 後でわかったのですが、インゴールのゴールラインとタッチラインとタッチインゴールラインが交わる角の内側にコーナーフラッグが立っているのですが、私がインゴールにボールを置く前に、私の体がコーナーフラッグに触れたと判定され、トライ不成立となったのです。 そういえば空中で相手のフルバックに押され、体が左に振られました。そのときにコーナーフラッグに確かに触れたような気がします。「しまった!」と私は思い出します。 中学で最初にラグビーを習ったときに、トライのときにコーナーフラッグに気をつけるように教わっておりましました。 失念! 痛恨のミスです。 結局、そのときは敵陣に攻め込んだものの、相手にしのがれ、得点できませんでした。 試合はその後も膠着状態が続き、結局、本郷が接線を制しました。 後半の中盤のあのとき、私のトライが決まっていたら、流れは変わっていたかもしれません。 それだけに非常に惜しまれるプレーです。 主将のIさんからは、「まあ、ラグビーの正規部員じゃないからしょうがないけど、ああいうときは、相手に一度当たってからトライをすればいいだよ」と諭されます。 私は走るという才能はありましたが、そうしたラグビーのスキルが足りませんでした。 ところで、高校ラグビーの試合ではタッチジャッジは双方のチームから出してレフリーを補佐します。私のトライを認めなかったタッチジャッジは、わが校のラグビー部のOBの白石さんでした。白石さんは文武両道のラガーマンで京都大学に進学して、その時も大学でラグビーを続けておりました。たまたま東京に来ていたので、タッチジャッジを志願したのだそうです。実は私の姉と同級生で、このとき初めて会いました。 その白石さんが試合後、私のところにやってきて、「惜しかったね。わずかにフラッグに当たるのが早かったと判断してタッチにしたけど、レフリーからはあの位だったらトライにしてやったのにと言われたよ」と告白してくれました。それほど微妙で際どい判定であったということです。でも確かに味方に有利なように判定するわけにはいきませんよね。 フェアーなジャッジであったと誇らしく思っています。 (続く)