カストロが愛した女スパイ38
カストロ暗殺計画2 「すみませんが、その二人のキューバ人の名前を覚えていますか?」 「ナバロ、もしくはノボ兄弟です」 「分かりました。それであなた方はマイアミに行き、フランクに会ったのですね?」 「そうです」 「そして、その時点で、あなたたちは計画を実行に移したのですか?」 「おそらくフランクはニューヨークから電話で指令を受け、私を訓練することになったのだと思います。私は隠れ家に連れて行かれました。そこで三週間滞在し、来る日も来る日も、昼も夜も、話を聞かされ続けました」 「だれが話をしたのですか?」 「フランク、アレックス、ペドロ」 「ペドロとは、ペドロ・ディアス・ランツのことですね?」 「その通りです。私だけしかできない、私だけが唯一忍び込める人間だと何度も聞かされました」 「その後、キューバに行ったのですか?」 「はい。私は何度も次のようなことを聞かされました。後にうそだと分かるんですけど、フィデルが私の赤ん坊を殺したって言うんです。私はほとんどそれを信じ込みました。彼らは私を当てにしていたんです。彼らは私に、カストロ暗殺は国のためだと言いました。フィデルは悪いやつで、共産主義者によって洗脳されているとか、私が持ち出してきた書類や手紙によってそれは確認された、などと言ったのです。私がミサイル基地の航空写真のような展望図を取ってきたとも言われました」 一九五九年を振り返ると、共産主義の脅威がアメリカ国民の間に台頭した時代だったともいえる。冷戦は激化、東西の緊張は常に高まっていた。突如、米国の目と鼻の先に誕生したカストロ政権はまさにその象徴だった。次第に共産主義色を強く出していったキューバは米国の国家安全保障上、危険極まりない国の一つだった。アメリカ国内では反共運動が盛んになり、しきりにキューバの脅威を伝える情報が意図的に流布された。キューバがテキサス州に攻めてくるとの噂も流れるそんな時代だった。その中でロレンツの“悲劇”は、格好な宣伝材料を提供した。 「今になって思うと、あのとき何故プロパガンダに反論しなかったのだろう」とロレンツは自問自答した。おそらく当時の反共産主義の風潮に流されてしまったのだ。カストロが自分の子供を殺したかもしれないとの疑惑も頭から離れなかったことも影響したに違いない。ロレンツは当時、内心忸怩たるものを感じながらも、敢えてカストロを弁護する気にもなれず、体に負った傷の痛手とともに心に傷を負いながら内に引きこもってしまっていた。その深い暗闇の中から抜け出す道は、カストロ暗殺しかないのかもしれないと思うようになっていた。(続く)