新聞記者の日常と憂鬱37
▼内部告発者2005年2月23日、内部告発者に関する画期的な判決が富山地裁であった。ヤミカルテルを公的機関に訴えた社員が、その報復として嫌がらせをした会社に勝訴する判決が下ったのだ。勝訴したのは、大手運送会社トナミ運輸の社員串岡弘昭さん。トナミ運輸とは、あの代議士の綿貫民輔が社長(のちに会長)を務めていた会社である。串岡さんは1946年、富山県に生まれた。70年に明治学院大学を卒業後、地元のトナミ運輸に入社。岐阜営業所に勤務していた73年、当時運輸各社が過当競争を避けるため談合して違法な割増運賃を取っていた業界のヤミカルテルを撤廃するよう会社側に直訴。それでも会社側がカルテルを続けたため、翌74年に公正取引委員会に告発した。この内部告発により運輸業界のヤミカルテルが明らかになり、新聞で大々的に取り上げられた。悲劇が串岡さんを襲ったのは、このときからであった。内部告発をした串岡さんに対して、会社が露骨な嫌がらせを始めたのだ。75年に同社の教育研究所に異動させ、退職するよう圧力をかけた。それでも辞めないと、今度は昇給と昇格をストップ、串岡さんを個室に押し込め、孤立させるという壮絶ないじめを始めた。串岡さんの仕事といえば、草むしり、布団干し、便所掃除ぐらい。同期の社員は係長や課長へと次々に出世して、給料の格差はドンドン開いていく。家族や親戚も、会社を辞めろと言い出す始末であった。だが串岡さんは辞めなかった。自分は正しいことをしたのだから、辞める理由はないとの不屈の信念を持っていたからだ。会社側はとうとう、暴力団を使って脅してきたと、串岡さんは言う。串岡さんの兄の職場にも、トナミ運輸から「弟を辞めさせろ」と直接圧力がかかるようになった。しかしこれを機に、逆に串岡さんの家族は団結する。串岡さんの兄も「会社はこんなことをするのか!」と怒り、弟を応援するようになったという。串岡さんも精神の安定を保つため、ボランティアに参加して社会との接点を積極的にもつようにした。串岡さんは26年間、会社の仕打ちに耐え続けた。そして、子供たちが大学を卒業するなど大きくなって自分の手を離れた2002年1月29日、26年に及ぶ昇格差別と、人権侵害による経済的・精神的損失として約5400万円の損害賠償と謝罪を求め、トナミ運輸を提訴した。判決では、「報復として、ほとんど雑務しか仕事を与えず、昇格を停止して、不利益な取り扱いをした」と会社側の非を認め、時効分を除く賃金格差分約千三百五十六万円を支払うようトナミ運輸に命じたのである。串岡さんは、判決では同社への謝罪要求が認められなかったとして控訴したが、今年(2006年)2月16日に和解が成立。損害賠償金の上積みが認められただけでなく、和解条項に同社が「本件を教訓に適正で公正な業務運営を心がけ、信頼回復に努める」とする内容が盛り込まれたのだという。私は富山支局にいるときに串岡さんのことを知らなかった。内部告発が私の赴任前であったことや、提訴がそのずっと後であったこともある。知っていたら必ずこの「現代の岩窟王」の取材をしていたであろう。不明を恥じるばかりである。