出雲族と大和族の話(第35話)
こうして読み解いてゆくと、記紀神話自体が破たんしていることがわかってくるのではないかと思います。しかし、宿禰さんが口伝継承した正統竹内文書や北川恵子さんのチャネリングなどをテコにして日本神話を読み解くと、なぜあのような嘘を書かなければいけなかったか、浮き彫りになってくるんですね。大和族と出雲族の和議の結果、ニギハヤヒが初代王(天皇)となったことを認めると、和平を破ったのが大和族だったことがバレテしまうからです。もう一度ニギハヤヒとニニギの関係をみてみましょう。記紀ではニギハヤヒが天孫降臨したことは認めていますが、「弟分」のニニギの後に天孫降臨したことにしてしまいましたね。だから記紀では、ニギハヤヒのことを記す時には、まさに腫れ物に触れるような感じで、かなり苦労した跡がうかがえるんですね。まずは名前です。記紀では天火明命としたり火明命などとしたりしています。でも先代旧事本紀と正統竹内文書には天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテラス クニテラスヒコ アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト)と書かれています。この正式名称の「天照国照彦」こそ、まさに統一王朝の王であることを示す名称であったのではないでしょうか。記紀ではそんなことは書けませんから、真ん中の天火明だけを取った、あるいは「天」も付けないで火明だけにしたのではないかと思われます。竹内巨麿さんが公開した竹内文書に至っては、かなり混乱しています。もっとも巨麿さんの竹内文書は、歴代の宿禰さんによって口伝継承された正統竹内文書と違って、いろいろな写本がありますから、元々どれが「本物の竹内文書」なのか、わからなくなっています。その中で八幡書店が出版した『神代秘史資料集成天ノ巻』では、オシホミミの長男として天火明命が生まれたことになっています。ところが、ニニギはオシホミミの子ではないかのようにも書かれているんですね。天皇の血統がオシホミミとニニギの間で事実上断絶したようになっています。巨麿さんが開祖となった皇祖皇太神宮が編纂した『神代の万国史』でも同様な混乱が見られます。『神代の万国史』では、ニニギは二男ではなくオシホミミの長男らしく、父オシホミミから天皇の位を譲り受けたことになっています。ところが、同じくオシホミミの子である天火明については、二男のように記されたうえに、その後の消息は不明になっています。しかも、『神代秘史資料集成天ノ巻』『神代の万国史』の両書とも、ニニギの息子として火明尊(記紀では火遠理命。山幸彦に相当)が、火須勢理命の弟として登場します。記紀神話で出てくる火照命(海幸彦)はいないんですね。そしてこの時には、火明尊が兄火須勢理命から天皇位を譲り受けてニニギの次の天皇になっています。私には、わざと初代天皇ニギハヤヒの名前の一部である「火明」という名前を神武の祖父に付けたり、ニニギの息子が3人兄弟になったり2人兄弟になったりしたように思われるんですね。宿禰さんが指摘した通り、大和族お得意の系図改ざんにより、天火明(ニギハヤヒ)にまつわる系図を何が何だかわからなくしてしまった感じがします。また双方の竹内文書とも、ニニギの時代にニギハヤヒが親王として登場します。このとき初めて、天火明がニギハヤヒなのかなと推測できるようになっています。こうした混乱も、ニギハヤヒを初代統一王朝の王であることを認めたくないために、いろいろと系図を改ざんした結果であることが推察されますね。こうした矛盾点を無くして系図を整理していくと、次のようになると思うんですね。(続く)